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死亡急増時代と「鎮守の森ホスピス」 〈下〉

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

死んだら自然に還るという感覚

 前回、死亡急増時代となり、高度成長は過去のものとなり、死生観への人々のより実質的な関心が高まる中で、日本社会の「死」との関わりの全体が大きな曲がり角に来ていると述べた。

 もちろんその論点は多岐にわたるが、私自身の関心を記せば、そこでは「自然」(あるいは自然環境)という視点が重要なテーマになるのではないかと考えている。

 私事にわたり恐縮だが、私の父は数年前に80歳過ぎで亡くなったが、もともと農家出身だったということもあってか、晩年は郊外の小さな農園で野菜を育てるのが最大の楽しみないし生きがいになっており、その場所を「還自園」と名づけていた。「還自園」とは文字通り“自然に還る園”ということだが、もちろんこれには、人間は死んだら自然に還る、あるいは“大きな生命の循環に戻る”といったニュアンスが含まれている。

 これは身近な一例に過ぎないが、多くの日本人にとって、死んだら自然に還るといった感覚あるいは死生観は、比較的なじみのある、受け入れやすいものであるだろう(もちろんこれには個人差があり、しかも死生観は最終的に全くもって一人ひとりで異なるものだが)。ちなみに、しばらく前から樹木葬などを含めて様々な形態の自然葬が広がっているのもこうした話題と関連しているかもしれない(これには「家」の呪縛から離れたいという志向を含んでいる場合もある)。

 実は以上のような考えの延長で、私自身はしばらく前から、「鎮守の森ホスピス」とも呼べるような場所が日本にあってもよいのではないかと考えてきた。

 終末期のケアないし緩和ケアを行ういわゆる現代型ホスピスは1967年のイギリスで生まれ(ロンドン郊外のセント・クリストファー・ホスピス)、日本では1981年から聖隷三方原病院(浜松)や、淀川キリスト教病院(大阪)にホスピスが作られたが、いずれもキリスト教を基盤とするものだった。その後1992年に新潟県長岡市に仏教をベースとするビハーラ(いわゆる仏教ホスピス)が作られ、一定の展開を見せている。

 これらはもちろんそれぞれ意義あるものだが、上記のような、日本において伝統的な自然信仰を踏まえた看取りの場所があってもよいのではないかと思い、ここではそれを「鎮守の森ホスピス」と象徴的に呼んでいるのである。ちなみに鎮守の森のような自然信仰は、決して日本だけに特有のものではなく、アジアそして地球上の各地域においてもっとも基層にある自然観・生命観であると私は考えている。

地域コミュニティの「鎮守の森ホスピス」

群馬県高崎市の於菊稲荷神社=筆者撮影
 そのようなことをずっと思っていたのだが、先日、前回ふれた「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」のプロジェクトの関係で、群馬県高崎市のある神社(於菊(おきく)稲荷神社という場所)を訪問させていただいたところ、興味深い事実に出会った。
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