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小泉脱原発「いいね」 でも過去も語ってほしい

尾関章 科学ジャーナリスト

 小泉純一郎元首相の脱原発発言は、3・11前に戻ってしまった感が否めない日本のエネルギー政策に小さな風穴を開けた。野党の党首たちが次から次にエールを送っている。アベノミクス攻勢の前に次の一手を打ちあぐねていたところに現れた思わぬ援軍ということだろう。だが、政界から離れた視点に立てば、それよりももっと大きな意味がある。東電福島第一原発事故の直後に多くの人々の心に芽生えた「決意」を思い出させるきっかけになったということだ。

 その決意とは、一言でいえば「このままではいけない」という思いである。駅のエスカレーターが止まっても、夏のエアコンが28度に設定されても怒らなかったのは、この心理があったからだろう。ただ放射能は怖い、もうごめんだ、という原子力に対する忌避感だけではない。そこには、大都市圏が大量消費するエネルギーの大量生産を地方に押しつけるという日本社会の構図に対する深い反省もあった。

 ところが、大都市圏でモニターされる放射線量の値がかつての水準に戻るにつれて、その決意はぼやけてきた。事故の影響を強く受けた域内では、除染が進まず被曝の不安に脅える人々がなお大勢いる。事故原発の敷地内では、多くの作業員たちがリスクを引き受けながら働いている。それにもかかわらず、域外の大多数の人々は事故の衝撃をいつのまにか忘れてしまったかのように見える。

 そこに「忘れるな」の一言を浴びせたのが、汚染水問題と小泉発言だ。テレビで連日のように流される汚染水タンク群の映像はあの事故がひきずる重荷を私たちに改めて印象づけた。そして小泉発言は、だからこそ思い切った決意が必要だというメッセージを直球で投げかけている。

 小泉さんが語ったことの要点を、10月1日の名古屋市での講演を伝える朝日新聞デジタル版の記事から引用してみよう。「経済界では大方が原発ゼロは無責任だと言うが、核のゴミの処分場のあてもないのに原発を進める方がよほど無責任だ」「事故が起きれば人体や農作物、地域へのリスクは計り知れず、原発ほどコストのかかるものはないと多くの国民は理解している」「今こそ原発をゼロにするという方針を政府・自民党が出せば一気に雰囲気は盛り上がる。そうすると、官民共同で世界に例のない、原発に依存しない、自然を資源にした循環型社会をつくる夢に向かって、この国は結束できる」

 当たり前のことを当たり前に言っている。素直な感じ方だと私は思う。

 ただ、この発言には脱原発をめざす人々からも批判があるに違いない。それは小泉さんが首相在任時代、政府のトップとして原子力推進政策をとっていたという事実が厳然としてあるからだ。 ・・・ログインして読む
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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1冊のブログ「本読みby chance」を開設中。

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