2013年11月29日
11月14,15日の本欄『脳とビッグデータが合わさるとどうなるか』で、こころの「解読」を巡る情報科学や神経科学のめざましい進展ぶりを紹介した。「倫理観や社会制度が追いつかない 」と結んだが、いかにも問題を積み残した感は否めない。そう思っていたらタイムリーなことに、米国における「神経倫理と法」の現状について、包括的な報告を聴く機会に恵まれた。これは書かずにいられない。
「米国神経科学会」はこの分野最大の国際的な学会で、毎年の大会には3〜4万人の参加者を集める。サンディエゴで開かれた今年の大会(11月9〜13日)に筆者も参加した。多彩なプログラムの中でも特に、N. A. ファラハニー教授の特別講義が、巨大ホールを数千人の聴衆で埋めていた。そのタイトルがなんと「私を責めないで、私の脳を責めて!」。
彼女の専門は法律と哲学で、デューク大学「遺伝科学と政策」研究所/法学部/哲学科に所属。2010以降はオバマ大統領の「生物倫理学」諮問委員会の委員も務める。この学際分野をリードするひとりだ。
筆者もこの分野に関心を持ち、15年以上前から「神経科学の進歩で、自由と責任の問題が先鋭化するだろう」と予告してきた(『サブリミナル・マインド』中公新書)。今回のファラハニー講義を聴いて、いよいよそれが現実化していると感じた。
日本の法曹界は事情が違うだろうが、大きく見ればやはり米国の後を追うのではないか。以下彼女の講義に即して、現状を見てみよう。
「犯罪行動を神経科学から理解する」という流れが、最近特に加速している。たとえば
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