2013年12月02日
前稿から、学会での専門家の講義を元に、神経倫理と法の関係について、米国での現状を見てきた。「裁判所見解」で神経科学的な知見に言及される件数は、ここ数年で倍増している。しかし被告人の弁護には必ずしも成功してはいない。その理由のひとつとして、「機械的・反射的な行為」を「自発的・意図的な行為」から峻別して証明するのは難しい、と書いた。
裁判で扱うのは、生活の中のもっと現実的で複雑な行動だろうから、ますます識別は難しい。「自発的・意図的な」信号と「機械的・反射的な」信号とが脳内で混じり合っていると考えるのが、たぶん正解に近い。
しかし半面、「自発的で意図的な行為」でないなら、そのぶん法的責任は問えない。そこでなんらかの識別は必要だ。
では法曹界はどうしているというと、まず確実に「機械的な行動」に該当するもの(たとえば膝(ひざ)をたたくと下肢が伸びる反射など)の少数のリストだけを明示する。そしてそれに類するもの以外は全部「責任ある行為」に分類するという、きわめて厳格な基準を採用してきた。
脳障害による弁護を難しくしている要因としてもう一点、「いつ?」という問題がある。責任能力の欠如(低下)が仮に認定されたとしても、それが「いつの話か」という点だ。
裁判がらみの神経心理学的検査は、事件発生の時点から見れば数ヶ月〜数年後のことになる。これは訴訟〜裁判の手続き上、不可避だ。他方本当に争点となるのは、行為を成した時点で「責任能力」があったかで、検査の時点ではない。だから仮に検査で「責任能力無し」と認められても、ただちに罪を免れ得るとは限らない。
脳障害による弁護戦術が
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