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[1]プルトニウムは今 英国は「捨てる」ことを考え始めた

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

 当面使い道のないプルトニウムを自国分、外国分合わせて120トンも抱える英国は、困った末に「プルトニウムを捨てる研究」を始め、「捨てるビジネス」を考え始めた。英国の試みは、世界の多くの政府・電力業界が思ってはいるが、誰も言えなかったことを代弁しているかもしれない。「プルトニウムはお金と時間をかけてつくり出したものの、扱いが厄介でコストがかかる。捨てた方がいいのかも知れない」ということだ。

拡大英国のセラフィールド原子力地区の全景(NDA提供)

 捨てる研究はイモビライゼーション(immobilization)という。固定化、不動化を意味する。プルトニウムの粉末とカルシウム、チタンなどの酸化物を金属の缶に入れ、熱と圧力をギュッとかける。そうすると全体がセラミックになり、簡単にはプルトニウムを分離できない状態になる。この缶を地中に廃棄する。放射能の強い使用済み燃料と一緒に捨てる考えもある。

 もともとこの研究は、少量の役に立たないプルトニウムの廃棄方法として研究が始まった。しかし、英国では近い将来、大規模に捨てる可能性がでてきたので研究に力を入れている。研究は英国中西部にあるセラフィールド原子力地域の中にある国立原子力研究所で行われており、担当者は「3年後に、実用化のための施設をつくる」と話している。

 英国はフランスと並び、外国を巻きこんだプルトニウムビジネスを展開してきた国だ。1994年には巨大な再処理工場「ソープ」をスタートさせ、自国原発からでる使用済み燃料だけでなく、ドイツ、日本などの再処理委託も受けてきた。このため、建設費も3カ国でほぼ3等分され、英国は安上がりに工場をつくることができた。

 英国サイクル政策は失敗の連続

 ドイツが委託したのは、自国内での再処理工場建設を断念したからだ。また日本は六ケ所再処理工場ができるまでの使用済み燃料を英国のソープと、フランスのラアーグ再処理工場に委託した。

 ソープの運転開始前、再処理を本当にすべきかどうか、そしてソープの経営がうまくいくかどうかについて、英国内で大議論があった。しかし、英国は反対派を抑えて新しい時代のビッグビジネスに突入した。
それからの20年、英国にとって予想外で皮肉な歴史が流れた。第一に、原発の建設が止まった。英国は独自開発の2種類のガス炉を約40基建設したが、世界の時流は米国が開発したPWRなどの軽水炉に収斂した。

 そこで「ガス炉路線」を転換し、1988年に最初の軽水炉「サイズウエルB」の建設を決めた(95年に運転開始)のを皮切りに、90年代には10基ほどの軽水炉を一気に建設する予定だった。しかし、一基も建設できなかった。90年に行われた電力の民営化・自由化のためだ。電力市場が自由化されると、民間会社は「建設時間が長く、反対が多く、廃炉・廃棄物処分が不透明な原発」を忌避した。政府も原発建設の熱意を失った。軽水炉ができなければ、MOX燃料でプルトニウムを消費するプルサーマルもできない。再処理工場ソープも故障続きで、計画は遅れに遅れたが、ガス炉とくに古いマグノックス炉の燃料は長い間プールに保管できないので再処理は続いた。PWRはできないのでプルサーマルを実施する展望はなかったが。

 ドイツ、日本などの委託はソープの経営を助けたが、途中から話がおかしくなった。ドイツは90年代後半から、再処理をしない政策をとるようになり、再処理を止めようとしたが、フランスと英国は力を合わせて「契約を変えて再処理を途中でやめること」を拒否したのである。やめれば英仏に再処理費用が手に入らないからだが、ドイツにとっては、「不要なプルトニウム」が増えるだけだった。日本は政策を変えなかった。

 第二は、FBRの時代がこなかったことだ。英国では、「2000年までに英国内で8基のFBRが必要」と予測していたが、世界の原子力の情勢はまったくその方向には動かなかった。英国は94年にPFRというFBR原型炉の運転を止め、FBRの開発を断念した。皮肉なことに、その年にソープの運転を開始した。ソープが生み出すプルトニウムは本来FBRで使うものである。将来の混乱を予見させる大きなボタンの掛け違いだった。

 第三の誤算はMOX工場の不調だった。セラフィールドにはかつてMOX燃料をつくる小さな施設があり、日本などの燃料をつくっていたが、99年に関西電力のMOX燃料製造過程で検査データのねつ造が発覚した。そこで新しい大型工場をつくり、02年に運転を開始した。SMP(セラフィールドMOXプラント)である。しかし、11年の福島第一原発事故で最大顧客の日本のプルサーマルがまったく不透明になり、SMPは11年8月に閉鎖された。実は、それまでも工場は不調で実働9年で13トンほど(フルに運転すれば年間150トンの生産が可能)しか製造できなかったのだが、福島事故がとどめを刺した。

 今英国には120トンのプルトニウムがある。90数トンは自国分、残りは外国所有のもの。外国分のうち、日本分が最大で17トン。そしてソープはすべての契約を完了する18年に閉鎖される。そのとき、プルトニウムの総量は140トンになる。そして、英国内にはMOX工場もなく、そもそもMOX燃料を燃やす原発もない状態におかれる。これが英国の状況である。

 Puの引き取り、「お金はいただきます」

 この大量のプルトニウムをどうするか。英国は11年末に一応の方針を出し、「長期保管」「利用する」「捨てる」の3つの選択肢で考えるとした。その中で「MOX燃料として利用する」が最も好ましいとしているが、これまではなかった「捨てる」という選択肢が注目されている。イモビライゼーションは「捨てる」に使う技術になる。
しかし、英国は転んでもただでは起きない。この状況の中でドラスティックなことを模索している。「英国内にある外国のプルトニウムを英国に引き取る」ことだ。英国の所有物にしておいて、将来、「捨てる」ことも含めて何らかの処理をするということだ。

拡大イモビライゼーションに使う容器。左の容器にプルトニウムなどを入れて熱と圧力をかけると右のようになる。内部はセラミックになっている。そのあとこの容器を捨てる。英国立原子力研究所提供

 この際、「誰が誰にお金を払うのか」が問題になる。英国側の立場は明確だ。「所有権移転においては、英国の納税者に追加的な負担を追わせないこと」が原則となっている。つまり「英国がお金をもらう」ということだ。「プルトニウムを生み出すビジネス」から「不要なプルトニウムを引き取り処理する」方向への転換だ。すでに、ドイツやオランダのプルトニウムを有償で引き受けている。これによって、英原子力廃止機関(NDA)は昨年、1億700万ポンド(175億円)の収入を得ている。

 2012年12月、日本の原子力委員会に英原子力廃止措置機構(NDA)の日本法人の担当者が招かれ、英国のプルトニウム政策を説明した。そこで日本側から聞かれて、プルトニウムの引き取りは日本を相手にしても可能だ、と答えた。あまり知られていないが、かなり衝撃的なやりとりだ。

 しかし、日本はドイツやオランダのようなことはできないだろう。多額のお金をかけて「貴重な物質」であるプルトニウムをやっと取り出したのである。それを「お金を付けて誰かにあげる」となると、「ごみ」とみなすことになる。日本の核燃料サイクルの考えが根底からひっくり返る。 

 しかし、冷静に考えてみれば、英国が提示していることは紛れもない現実だ。プルトニウムをつくり出すには、再処理、MOX燃料加工という大きな二つのプロセスが必要で、どちらも相当のコストがかかる。しかし、そうして使うプルトニウム燃料は、ウラン燃料を使うより極めて割高なのである。使うにも、保管するにもお金がかかる。捨てた方が経済的になるかも知れないのだ。「ウラン利用より、プルトニウム利用の方が高くつく」。これは90年代からいくつかの研究が繰り返してきたことだ。しかし、プルトニウムをつくり、使うために各国ともあまりに大きな投資をしてきたので、どこの国も認めたくなかったのである。

 すでに数字でもはっきりしている。2011年11月、日本原燃は原子力委員会の核燃料サイクル検討会に一つの試算を提出した。それは現状のウラン価格では、核分裂性プルトニウムを1グラム利用する度に40ドルの損失がでるというものだ。「プルトニウムの価格は1グラムあたりマイナス40ドル」ということだ。核燃料サイクルは今のところ、経済性はないし、近い将来、そうなりそうもない。その単純な事実を浮き彫りにしているのが、英国の「使い道のないプルトニウムが90トン」という差し迫った状況と、それを逆手に取った新ビジネスだ。

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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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