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 やや奇妙なタイトルとなっていることをお許しいただきたい。

 なぜ「火の鳥」と日本神話のアマテラスが並置されるのかと、不思議に思われる読者の方も多いだろう。

 ここでは、新年という時候も意識しながら、両者が実は深いところでつながっているということをいくつかの視点から考えてみたい。

『火の鳥』が描くもの

 最初に「火の鳥」について確認すると、ここでいう「火の鳥」は、手塚治虫の漫画作品『火の鳥』で描かれているような、永遠あるいは不死を象徴するような存在としての「火の鳥」を指している。

 あらためて述べるまでもないかと思うが、『火の鳥』は『ブッダ』などと並んで、手塚治虫のライフワーク的な作品とされている。

 私自身は、その一部(「未来編」など)を学生の頃などに読んだことがあったが、その全体を通読することは最近までなかった。ところが昨年(2013年)の3月、ある小さな古本屋の閉店セールスで『火の鳥』全13巻(角川文庫版)をわずか500円で売っているのを見つけ、思わず買うことになった。

 中身について特別に期待していたわけではなかったのだが、いったん読み始めるとその世界に魅了され一気に読み通すことになり、そのインパクトがあまりにも大きかったので、その後1か月ほどの間は寝ても起きても『火の鳥』のイメージが繰り返し頭の中をよぎるような状態だった。

 まだ読んでおられない方もいると思うので『火の鳥』がどういう話であるかをごく簡単に記すと、物語の舞台となる時代は、邪馬台国の頃とか人類の創世といった遠い過去と、紀元3400年の地球とか、人類が一度滅亡してまた生命の進化が始まる時代といった遠い未来を往き来しながら、それぞれの時代ごとのある程度独立した物語が各巻で進行していく。ただし、それらどの時代の物語にも(永遠の象徴である)「火の鳥」が登場する。

 物語の全体を貫く中心的なテーマは、一言で言えば生命、あるいは「死と再生」という主題ということになるが、私がやはり感銘を受けるのは、その扱う時間の射程が非常に長いということ、しかも単に時間軸として長いだけでなく、「時間の深さ」ともいうべき次元、あるいは日々移ろいゆく現象的な時間の根底に存在するような、「深層の時間」とも呼ぶべき次元が扱われている点だ。

 あるいは『火の鳥』においては、遠い過去ないし土着的・伝統的なものへの関心、いいかえると民俗学的あるいは歴史学的な関心と、未来や科学や宇宙といったものに対する自然科学的な関心の両方が――通常この両者の関心はかなり異質なものと思われるが――、物語全体を通じてクロス・オーバーしているという点である(本稿での主題ではないが、この視点はこれからの時代の科学のあり方を考える上でも重要なものと私は思っている)。

 以上、手塚治虫の『火の鳥』について簡潔に述べたが、しかしここでの話題は物語としての『火の鳥』でなく、そこで描かれている霊鳥「火の鳥」と、日本神話に登場する「アマテラス」との関わりだ。 ・・・ログインして読む
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筆者

広井良典

広井良典(ひろい・よしのり) 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

1961年生まれ。84年東京大学教養学部卒業(科学史・科学哲学専攻)。厚生省勤務、千葉大学法政経学部教授を経て現職。この間、マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障、医療、環境などをめぐる政策研究からケア、死生観などについての哲学的考察まで幅広く発信。『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞した。

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