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続・「火の鳥」とアマテラス――ナショナリズムを超えて 〈上〉

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

 本欄に先日掲載した「火の鳥とアマテラス」において、「火の鳥」と日本神話のアマテラスは、いずれも「死と再生」のシンボルであるという点でつながっているということを述べた。

 しかしこの両者の間には、そうした内容的な面でのつながりとともに、もう一つの接点がある。それは、それらがもともと生まれたアジアの諸地域と日本との関わりに関する、歴史的ないし人類学的なつながりという点だ。年明けの話題の延長ということで、こうした点をここではさらに深めてみたい。

鳥信仰と鳥居

 このうち火の鳥については、前回も述べたように、それは中国の神話における霊鳥「鳳凰」ないし「朱雀」と深く関わっている。ただし、鳳凰や朱雀ほど洗練されたものでなくとも、広い意味での「鳥信仰」は、中国、アジアあるいは地球上の各地域に広く存在している。

 その象徴的な場面の一つが、「鳥居」との関わりである。鳥居の起源に関しては様々な説があるが、有力なものとして、それが雲南省など中国南部や東南アジア北部の山岳地帯に見られる、「ロコーン」などと呼ばれる村の門がルーツではないかという見解がある(鳥越憲三郎『古代中国と倭族』中公新書、同『原弥生人の渡来』角川書店)。

 それは村へ侵入する悪霊を防ぐという性格のもので、聖なる領域ないし空間を他から区別する「結界門」という性格をもち、左右の柱の上に笠木を載せたその形態も日本の神社の鳥居とよく似ている。そして、その笠木の上に木製の「鳥」がとまっているのである。なぜそこに鳥が置かれるかという理由は、おそらく神の拠り代(よりしろ)ないし神との媒介者といった意味合いからだろう。

 本稿は鳥居の起源ということ自体が主題ではないので、この点にこれ以上深入りすることは控えるが、いま述べている雲南省などの中国南部や東南アジア北部の山岳地帯等といったエリアは、よく知られた「照葉樹林文化」論で論じられてきたように、水田稲作をはじめ、もち米、納豆、歌垣など、様々な事物や習俗が「弥生人」とともに日本に渡ってきた、その起源の地域とされているので、鳥居がその中に含まれているというのは、決して不合理な論ではないと思われる。

 ちなみに多少脱線するが、朝鮮半島南部にも類似の「門」があるようで、そこではその脇に「ソッテ」(鳥竿)と呼ばれる、先端に木製の鳥がとまる柱が立てられる。そして門の近くにはソッテの他に「チャンスン」と呼ばれる一対の人面柱も置かれるそうだ。これはやはり上記の記述と同様に村の守り神ということだが、偶然ながら、昨年8月、この欄でも何度か紹介した「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」の関係で埼玉県・秩父にある高麗(こま)神社を訪問した際、同神社が渡来人系の神社であることもあってか、まさにこの「チャンスン」が鳥居のそばに立っていた。

 先ほど雲南省などでの村の結界門としての鳥居についてふれたが、それがどちらかというと“水平的”な空間の区分――聖なる領域とその外――に関するものであるのに対し、いま述べているソッテなどの柱状の人工物とその先端に置かれる鳥という構図は、むしろ人と神との“垂直的”な関係に関わるもので(あるいはいわゆる「宇宙樹」ないし「世界樹」のイメージ)、どちらかというと後でも述べる北方系の父性的超越神の世界に近いという印象もある。これら両者は必ずしも二者択一ではなく、少なくとも部分的に重なり合っているものなのかもしれない。そしていずれにしても、そうした場面において「鳥」が重要な役割を果たしているのである。

 ちなみに、人間が「超越」という抽象的観念をもつのはかなり後になってのことであり、そのもっとも原初的なイメージは、他でもなく“鳥が空高く舞い上がる”といった具体的な事象に根ざしていただろう。さらに「鳥の目」からは、世界の全体を俯瞰(鳥瞰)することができる。こうしたところにも、超越的な神の観念と「鳥」との結びつきを見出すことができると思われる。

太陽の再生神話の起源

 以上、「火の鳥とアマテラス」というここでのテーマのうち、火の鳥に関する話題を述べたが、ではアマテラスのほうはどうか。

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