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続・「火の鳥」とアマテラス――ナショナリズムを超えて 〈下〉

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

アマテラスの複合的性格 ――太陽・「天」・海

 〈上〉でアマテラスの起源について述べた。この「アマテラス」の「天」は、もちろん中国的な「天」の思想を取り入れたものだが、溝口睦子氏も記しているように、これは(タカミムスヒに関連する)北方ユーラシア遊牧民的な「天」の概念ともまた異なるもので、それは自然における具象的な「天」ではなく、むしろきわめて抽象化された概念としての「天」である。

 以上は若干わかりにくいかと思われるので私なりに少し整理すると、アマテラスには以下の3つの観念が関係していることになる。

(a)(南方の)農耕民的な「太陽」神 (・・・母性的)
(b)(北方の)遊牧民的な「天」の神 (・・・父性的)
(c)中国思想における、抽象化された「天」の概念 (宇宙的な超越性)

 このうち(a)は、先に出てきた雲南省など中国の南部(長江領域など)や、日本の弥生文化に例示されるもので、農耕において中心的な役割を果たす「太陽」が、多神教的な信仰の対象になるものである。(正確に記すと、後でもふれるように、さらにこの深層に狩猟採集的段階でのもっとも根源的な自然信仰が存在すると私は考えている)。

 他方(b)は、先ほども述べたように北方遊牧民的なもので、いわばドライで規範的な性格の強い、父性的・超越的な「天」神の観念であり、タカミムスヒがその例だった。

 そして(c)は上記のようにより抽象度の高い概念で、これはより大きな文脈で言うと、紀元前5世紀に生じたいわゆる「枢軸時代」――ドイツの哲学者ヤスパースが論じた概念で、興味深いことにこの時期に地球上のいくつかの場所で、普遍的な志向をもった宗教ないし思想が同時多発的に成立しており(具体的にはインドでの仏教、中国の孔子・老子や諸子百家、ギリシャ思想、中東での旧約思想)、それらはいずれも個別の共同体や具体的事物を超えた普遍的あるいは抽象的な観念を思想の内容としている――に生まれた思想の一環をなすものと言える。

 話をまとめると、以上のような過程をへて、伊勢地方での一女性太陽神に過ぎなかったヒルメが、皇祖神という大役を担うことになり、そこでは(本来次元を異にするはずの)「太陽」と中国的な「天」が二重写しにされ、「女性太陽神アマテラス」という、重層的・複合的な意味を担った神となったのである。

 しかもこの場合、「アマ」には前述のように海という意味もあり、それは農耕以前の縄文的(狩猟採集的)なものとも言えるので、二重写しというより“三重写し”ともいうべきであり、つまりアマテラスには(1)縄文的(海洋的自然信仰)、(2)弥生的(農耕的な女性太陽神)、(3)普遍思想的(「天」の観念)という、三層にわたるイメージや観念が凝縮して込められていると思えるのである。

 ちなみに以上に関連する興味深い事実として、伊勢湾岸地方(や対馬など)に、もともと「アマテル」という、海洋性の男性太陽神が存在しており、それが祖先神としてやがて「ホアカリノミコト」と呼ばれるようになったという事実がある(この点につき武澤(2011)参照)。

 この神はいわゆる海人(あま)族――弥生以前の日本列島の先住民で、漁業を中心に生活を営んでいた人々――にとっての男性の太陽神で、アマテラス=ヒルメのさらに古層をなす縄文的なもの(先ほどの(1))と言えるだろう(しかも、知られるように先の天武天皇はもともと「大海人(おおあま)皇子」と呼ばれており、海人族あるいは海人文化と接点をもっていた)。

アマテラスの両性具有的性格

 アマテラスに関して、本稿で話題にしている「火の鳥」との関連を含めて最後にもう一つ注目しておきたいのは、以上のような記述から浮かび上がるような、アマテラスのもつ「男女両性具有性」である。

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