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いま一度『最悪の事態』を話そう(上) ~  私はうまく書けなかった

竹内敬二 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

 福島事故から3年が経つ今、原発の最大の話題は再稼働だ。そして「事故時の避難計画」が再稼働の壁になっている。30キロ圏内の自治体がつくる防災計画の一部だが、大事故を想定すればうまくいかない。そこでいろんな声が出る。「新基準に沿って過酷事故が起きないとなれば、県外の避難先の確定を待つ必要はない」という首長の発言もあった。これでは「厳しい新基準」→「大きな事故は起きない」という「第2の安全神話」になってしまう。しかし、こんな風に新基準を万能的に考えている人が結構多い。

拡大ダチョウ園から逃げ出したダチョウ。富岡町の道路上を歩いていた。2011年11月の撮影。今は見かけないという。(朝日新聞)

 3年前、実は、東京を含む広大な土地が住めなくなる瀬戸際まで事故は進展していたが、この事実はあまり知られていない。原発事故についてのんきな考えが広がる背景の一つだろう。日本が破滅しかけた「最悪の事態」をいま一度思い起こしたい。当時、事故を担当・記事執筆をしながら、危機の深さをうまく伝えられなかった私自身の反省もある。

 あとになって分かったのは、当時、多くの関係者が「日本を3分割」しかねない最悪の事態を考えていたということだ。その例として、「下」では、東電、菅首相、吉田昌郎・原発所長、班目・原子力安全委員長らの認識を紹介する。

 3年前の事故直後、私は朝日新聞の朝刊、夕刊に解説記事を書いていた。その中で、「日本は本当にどうなるのか」という最大の恐怖を感じたのは2011年3月15日の朝だった。15日はのちに、放射能閉じ込め機能が一気に崩れた「運命の日」と呼ばれた。

 3月14日までに1、3号機の建屋で水素爆発が起きていた。そして14日夜に2号機の格納容器(建屋の内側にある)の圧力が8気圧まで上昇した。格納容器はいざというときのために4気圧まで壊れないようにつくられていたが、その2倍になったのである。

「チェルノブイリ被害の4倍」と思った

 だれもが格納容器の爆発が近いと思った。爆発すればそれまでの建屋の水素爆発とは汚染のスケールが違う。濃い放射性のガスが飛散し、広大な土地を汚染するだけでなく、原発内に人がとどまることもできなくなる。それで原発の制御が失われれば原子炉が次々に爆発することになる。

 その緊張感の中で15日午前6時ごろ、大きな爆発が起きた。当時、どこで爆発が起きたか不明だった。今では4号機の水素爆発と、2号機の格納容器下部が壊れた両方の音ではないかといわれている。その爆発のあと、周辺の放射線強度が急上昇し、2号機格納容器の圧力が下がった。このことから2号機格納容器は爆発的破壊ではなく、「プシュー」という形で破れたとみられている。本当のところは今もわからないが、そうだったら、悲劇の中での幸運というしかない。

 その3月15日の朝、破壊の進行と放出放射能の増加を示すデータが次々に起きる中で、私たちメディアも極度の緊張の中にいた。夕刊の編集会議で私は「大量の放射能が出た。日本はチェルノブイリに比べられる国になった」と発言したことを覚えている。

 編集会議のあと私は、夕刊1面に「最悪の事態に備えを」という解説記事を書いた。「極めて深刻な放射能放出が始まった……避難では子どもを最優先する……日本は技術先進国の誇りと被爆国の慎重さをもって原子力を開発してきたはずではなかったか」。書きながら「汚染はどこまで広がるのだろう」と思っていた。しかし、「起こりうる最悪の事態は何か」は書かなかった、書けなかった。

 午前11時、政府は福島第一原発の20~30キロ圏内に対して放射能雲を避ける「屋内退避」を指示した。

 この日を含め、新聞社では「最悪の事態は何か」がしばしば議論された。何人かが私に、「対策を考えるために起こりうる最悪のシナリオを示すべきだ」といった。

 「最悪の事態をおさえておいて解決策を探る」。これは不確実性が高いリスクに対して、しばしば行われる対処方法だ。しかし、私は結果的に「福島事故の最悪の事態」が書けなかった。私の考える最悪の事態はシンプルだった。2号機格納容器の爆発、あるいは何かの破壊で原発敷地内が放射能で汚れ、そこに人がいられなくなること。多くの作業員が撤退することで原発の制御が放棄され、高温になった1~3号機の原子炉が次々に爆発的破壊をすることだった。4号機の使用済み燃料のプールの水も抜けるだろう。つまり、炉心一個が大破壊されたチェルノブイリの「4倍」になるということだ。チェルノブイリ事故は5000平方キロ以上の無人の野をつくった。

 私は4度チェルノブイリの現地を取材している。「チェルノブイリの4倍」の広さが想像できた。さまざまな風向きになるだろうから、想像を進めると東北はもちろん、東京も住めなくなるかも知れない。しかし、書けなかった。

 「本当にそんなとてつもないことがあり得るのか」という考えが消えなかった。まるで「悪い夢」のような、あるいは核戦争のような話ではないか。現実の社会で起こりえるのか。その当時、国も東電も研究者もだれもそんなことを明確には言っていなかった。

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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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