2014年03月17日
前稿では「メダルを取らせたければ、騒ぎ立てないこと」「周囲の期待が大きいほど重圧となり、失敗の危険が高まる」という原則を強調した。その原則に立ってみると、メディアや責任者たちの発言が、皮肉にもこの逆説的な負の心理ダイナミクスをフル稼働させてしまったのでは、と。一方その裏側で、海外に出て騒がれずに実力を蓄え、力を発揮する成功パターンも見て取れた。そしてまた、本番に強い/弱いには、大きな個人差がある、とも書いた。
前稿で紹介した「チョーク(窒息=本番で上がってしまう現象)」研究に話を戻したい。そのひとつの特徴は、まずギャンブル課題で損失回避傾向の個人差を測り、それと主課題である運動課題との相関を見いだしたことだ。失うことへの恐怖が強い(弱い)人は、場面や課題が変わっても、だいたい常にその傾向を示すということだ。
こうした研究をベースに、本番に強い選手と弱い選手をあらかじめ診断する。また弱い選手には、本番に強くなる認知セラピーを施す。そのような前向きな研究を、2020東京五輪に向けてできないか。そんな話で、元陸上選手の為末大さん(400mハードル日本記録保持者、五輪も3大会連続出場)と盛り上がった(第3回「為末大 vs. 下條信輔 対談セミナー」2月22日、於京都大学こころの未来センター)。
さて、まだ他にも筆者の観察はある。その3。これほどメダル至上主義に走っていたにもかかわらず、本物の感動を与える真に美しい瞬間は、メダル圏のすぐ外側に訪れた。言うまでもなうスキーモーグル女子の上村、フィギアスケート女子の浅田、両選手のことを念頭に置いている。
メダル至上主義とは競争で順位を決めるいわば相対的な評価であり、国民もメディアもこの単純思考一色に染まっていたかに見えた。それなのに絶対評価、つまり選手本人がどれほどの努力を長年に渡って積み上げて来たか、それを遺憾なく100%発揮して理想とする遂行を出来たか、というところで、最も純粋な感動の涙が共有された。思えば、これほどねじくれた皮肉な事態もなかったのではないか。本当は何が起きたのか、掘り下げて見る価値がある。
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