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STAP細胞論文問題の背景(下) ~研究リテラシーが危ない~

武村政春 東京理科大学准教授(生物教育学・分子生物学)

生命科学の研究者コミュニティー全体を見ると、そこには今回の騒動をもたらしたことに対する責任が存在するのではないかと、私は思っている。なぜなら今回の騒動の根は、じつは現在の生命科学研究界の、奥の深いところにまで到達している可能性が高いからだ。

 理化学研究所のユニットリーダーというポストは、5年という任期付のポストであるため、5年間で成果を出さなければ、次のいいポストを得ることはできない。このように、研究者のポストを任期付き(定年までの雇用が保障されていない)にする現象は、理化学研究所に限らず、全国の大学でも起きており、教授、准教授、助教などの教員ポストが任期付きとなるケースが多くなっている。

 これは、「成果を時限つきで出さないと、その後のポストはありませんよ」という、不穏当な言い方だが“一種の脅し”が合法的に行われているということでもある。そうして若手研究者は、いい成果を出さなければという精神的圧迫に苦しめられるのだ。もっとも、アメリカなどには「テニュア制」があり、審査期間を経て終身雇用が認められるという制度があり、この場合の審査期間はわが国でいう任期付き期間と同じような意味合いがあると思うので、わが国だけの問題でもないのだろう。

 15日の朝日新聞朝刊で、福岡伸一氏が「作りました」という研究がもてはやされる風潮があるが、科学は本来、もっとじっくり「How(どのように)」を問うべきものだという意見を述べているが、まさにその通りであって、じっくりと「How」を問わなければならない科学者に任期という名の時限を切るのは、愚かなことであろう。無論、任期がないことに甘えて仕事をしなくなる大学教授もいるようだが、そうしたデメリットを考慮に入れても、「任期がない」という状態は、研究者にとっては経済的、学問的両方の意味においてプラスにはたらくのである。

 したがって「任期付き」で、しかもプロジェクトを束ねる立場になってしまった若手研究者の場合、自らの研究のみで頭の中が一杯になってしまうというのは、十分考えられることである。その結果、研究者自らが当然備えておかなければならない「先行研究へのリスペクトが欠如」してしまうという、研究リテラシー上の大きな問題を生みだすことになるのではないだろうか。

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