2014年03月28日
STAP細胞の件が世間を賑わせているが、その流れの中で、日本の博士審査制度への不信が噴き出しているようである。
STAP細胞疑惑については門外漢の私には分からないが、博士審査制度については米国も欧州も知っており、特に私の住んでいる北欧の博士審査システムは紹介する価値があると思う。
まず、始めに、どんなシステムであっても運用する人の良心に依存する面があることを強調したい。特に博士審査制度は、各大学が大学の研究スタイルに合わせて作り上げたものだから、一概にシステムの優劣を論ずるのは危険だ。しかも、私の知っている分野だと、過去の日本の博士のほとんどが、確かに国際的な博士のレベルに達している。ごく少数のまずい例を元に日本の博士審査のシステムを断罪するのは愚かしい。
それでも、欧州の博士審査の文化を知っている私から見ると、少なくとも北欧の博士審査制度であれば、今回のような問題が起こるとは思えない。そこで、本稿ではその理由について私見を述べたい。
一概に北欧といっても、各国で、そして大学ごとに若干の違いがある。日本でも大学ごとに手続きが異なるのと同じだ。そういう小異を超えて、北欧と日本の決定的な違いがある。それは、公聴会のありかただ。
世界共通の博士審査基準として、博士論文の審査と、公聴会での口頭審査がある。そして、論文の審査が審査委員に委ねられるのも、これまた世界共通だ。そこに「審査がいい加減ではないか」という疑念が入る余地が残る。そして、結局のところ、審査委員や指導教官の良心の問題に帰結してしまう。これは日本に限らない。
しかし、この疑念をいかに減らすか、という努力が日本と欧州とで違うのである。その鍵となるのが
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