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 STAP細胞がらみの混乱の教訓として、理化学研究所の改革委員長が共著者の責任について「分担責任」という考え方があることを紹介した上で、今回の件では「等分の責任」が共著者の笹井芳樹氏にあると考える旨を表明した。

 「等分の責任」とは、「どの著者も論文の全内容に責任を持たなければならない」という考え方に基づく。かつては、この考え方が主流だった。しかし、研究スタイルが大幅に変化した現在、共著者はどこまで責任があるのかについては世界的にも意見の分かれる問題で、コンセンサスはない。ただ、日本的な連帯責任の発想で「等分の責任」を課すことには大いに違和感を持つ。それは、研究社会に弊害をもたらすだけだ。

 50年前の研究は個人や小さなチーム内で完結し、チーム内の共著者の全員が研究の全容を理解していた。しかし、宇宙科学や素粒子科学など、一つの研究プロジェクトに非常に多くの人間が関与する現代では、プロジェクトの全要素を一人が完全に把握することは不可能となり、各研究者がそれぞれの責任区分だけを把握する形に変化している。それに伴い、「論文に対して寄与した部分に関しての責任に限られる」という「分担責任」の考え方が登場した。私自身、20年前までは「等分の責任」の考えに近かったが、今では「分担責任」が妥当だと考えている。ただし、主著者は共著者の分担部分に信頼がおけるか独自に評価すべき義務があるので、論文全体に責任を持つべきで、その意味では主著者の責任がより重大になったと思う。

 この変化を受け、サイエンスやネイチャーでは、各共著者が論文のどの部分に関与したかを明記するように求めるようになった。分担責任が明記されていない他の雑誌でも、論文では著者リストに著者の所属先が記されていることから、その部分とイントロ部、更にそこで引用されている論文の著者を見れば、誰がどの部分を担当したか大体分かる。

 著者リストに著者の所属先も記載されるということは、研究の(給料的)スポンサーを示すと同時に、論文のレベルが所属先の求めるレベルに達していることを保証する意味もある。

 一方で、論文レベルの保証をするのは、完全に独り立ちした研究者の場合は、第一義的には主著者の判断による。というのも、一人前の研究者の判断に上司が口をはさむということは、研究の独立を脅かす危険があるからだ。「上司の判断」の悪例として、福島原発事故のあとの速報論文がネイチャーに受理されたにもかかわらず、理不尽に撤回させられたという事件があった。これが日本の国立研究所の実体であり、逆に言えば、所属機関の名前を使った論文を出すという判断を、事実上研究者本人が出来る理研の今までの制度は非常に良いものだ。

 たとい、

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筆者

山内正敏

山内正敏(やまうち・まさとし) 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

スウェーデン国立スペース物理研究所研究員。1983年京都大学理学部卒、アラスカ大学地球物理研究所に留学、博士号取得。地球や惑星のプラズマ・電磁気現象(測定と解析)が専門。2001年にギランバレー症候群を発病し1年間入院。03年から仕事に復帰、現在もリハビリを続けながら9割程度の勤務をこなしている。キルナ市在住。

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