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認知症事故判決、「共助」の精神が見えない

尾関章 科学ジャーナリスト

 認知症の徘徊がもたらす事故は家族にも責任がある、という判断が第一審に続いて第二審でも出た。第一審のときから世の中の関心を集めていた愛知県内の鉄道事故をめぐる民事訴訟の名古屋高裁控訴審判決だ。その家族が「85歳の妻」だと聞いて胸が痛む。ここには、近年の日本社会に目立つ「共助」の精神の衰退が見てとれる。

 こう書くと、「それは違う」という反論が必ずあるだろう。東日本大震災が起こったとき、被災地で人々が手を差しのべ合った事実や国内各地で興ったボランティアのうねりは共助の強さを証明している。だが、共助にはもう一つの側面がある。それは、不可避に近い出来事によってこうむった損害をみんなで分かち合う、ということだ。能動型ではなく受動型の共助である。能動型は目に見えるかたちで現れるので私たちの心を動かすが、受動型はそれほどには感動的でない。だがこれも、世の中にとって欠かすことのできない支え合いである。

 今回、私が考えてみたいと思うのは、鉄道事故の損害賠償とは何か、ということだ。朝日新聞の報道によれば、鉄道会社のJR東海は「列車の遅れに伴う振り替え輸送費など」を費目に挙げて損害賠償を求めたという。事故で列車の運行が滞るとき、乗客は並行して走る別路線に乗り換えて目的地に向かうが、そのときふつうは別路線分の運賃を支払わないで済む(ただし、定期券区間外の振り替えに対応してくれないパスモやスイカのようなIC乗車券もあるので要注意)。精算は、事故のあった路線を営むA社が、振り替えを引き受けてくれたB社に支払うということをしているらしい。支払額は、振り替えの人数を正確に把握するのが至難の業なので、一定の数式を用いて概算しているのだろう。振り替え輸送をすれば乗客に対する情報提供や駅構内の混雑整理などに人件費もかかるはずだが、費用の中心にあるのは、他社への支払いではないかと思われる。

 ここで見落としてならないことがある。鉄道会社は互いに振り替えを頼んだり頼まれたりしている、ということだ。列車の不通や遅れは、どれか一つの路線に集中して起こるわけではない。企業努力で防げるものがある一方で、気象や地形など自然条件のめぐり合せで起こる不可抗力のものもある。だから、時間幅を長くとってみれば、鉄道会社の振り替え頻度は、かなり均されるように思う。

 A社が振り替え輸送の支払いで収入を減らせば、振り替え先のB社はA社からの支払いで収入がふえる。一部の乗客が切符を買うのをやめてタクシーに乗るというようなことはあろうが、ザクッと言えば鉄道業界全体でプラスマイナスは相殺される。一つひとつの会社についてみれば、振り替えを頼む局面の減収は、それを引き受ける局面の増収で、ある程度は補てんされるだろう。この意味で、振り替え輸送のしくみは鉄道会社が相互に助け合う「保険」とみることができる。振り替え輸送に限って言えば、「保険」で守られた法人に屋上屋を重ねる賠償は要らないように思うのだが、どうだろうか。 ・・・ログインして読む
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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1冊のブログ「本読みby chance」を開設中。

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