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 環境権を憲法改正の突破口としようとする議論がにわかに脚光を浴びている。自民党の船田元・憲法改正推進本部長は、「姑息かも知れないが、理解が得やすい環境権などを書き加えることを1発目の国民投票とし、改正になれてもらった上で9条を問うのが現実的」と憲法フォーラムで述べた(「朝日新聞」2014年5月4日付)。連立内閣与党の公明党も環境権を憲法改正のテーマにあげている。憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正案も衆議院で可決された。

 新しい人権として、健康で快適な環境で暮らす権利である「環境権」を検討していると報道されている。歴史的には、日本では、1970 年に東京で公害国際会議が開催され、環境権の確立が要請された。そこでは、「とりわけ重要なのは、人たるもの誰もが、健康や福祉を侵す要因にわざわいされない環境を享受する権利と、将来の世代へ現在の世代がのこすべき遺産であるところの自然美を含めた自然資源にあずかる権利とを、基本的人権の一種としてもつという原則を、法体系の中に確立するよう、われわれが要請することである」と宣言された。

 しかし、ここで問われているのは、現憲法に環境権あるいは環境権に相当する基本権が欠如しているかどうかである。憲法改正の議論で必要なことは、戦後70年の経緯になかで、環境問題、公害問題の解決に果たした現憲法の役割の正確な評価である。

 強調すべきは、戦後日本の公害問題や公害裁判において、現憲法の3つの原理である「主権在民」、「三権分立」、「平和主義」の役割が、司法や行政の判断において非常に大きかったということである。

 これに対して、中国などの公害問題の解決において、司法が市民の訴えを聞き、汚染源となる国営企業などへの損害賠償請求を認める判決はほとんど出ていない。しかし、その中国の現憲法第26条には「国家は生活環境及び生態環境を保護・改善し、汚染その他の公害を防止する」と明記されているのである。韓国の憲法にも環境権(大韓民国憲法第35条)が明記されているが、現実には残念ながら、住民の生活と安全が確保されていない事件が相次いでいる。

 日本の場合、憲法第25条に生存権の規定「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が明文化されており、これをもとに、民法の損害賠償請求が行われた。被害者救済に関する「三権分立」による裁判所の判決が、1970年代はじめの4大公害裁判(2つの水俣病、イタイイタイ病、四日市大気汚染)で確立したのである。1970年の公害国会による14の公害関連法と1971年の環境庁の設立が大きな転換点となった。もちろん、地域住民、被害者の運動が4大公害裁判で大きな力となったことは言うまでもない。その住民運動を保証する「主権在民」の諸権利が不可欠であった。環境権が明記されていても、住民の民主的諸権利が保証されていなければ、環境権の実現は、絵にかいた餅である。

 憲法第25条のほかに、憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という規定における生命、自由、幸福追求権も同時に重要な意義をもつ

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筆者

吉田文和

吉田文和(よしだ・ふみかず) 愛知学院大学経済学部教授(環境経済学)

1950年生まれ、兵庫県出身、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。北海道大学大学院経済学研究科教授を経て2015年から現職。北大名誉教授。専門は、環境経済学、産業技術論、主著『ハイテク汚染』岩波新書、『環境経済学講義』岩波書店、最近は低炭素経済と再生可能エネルギーの普及に関心を持つ。札幌郊外の野幌原始林の近くに住み、自然観察と散歩を趣味とする。

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