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「所員の9割が離脱していた」 。 「吉田調書」が教える「東電撤退事件」

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

この記事は、2014年5月20日付の朝日新聞紙面をはじめとした、吉田調書に関する報道に基づいたものです。この報道については、こちらをご覧ください。(2014年9月11日 WEBRONZA編集部追記)

 昨年7月に亡くなった吉田昌郎・元福島第一原発所長は、政府事故調に400ページにわたる膨大な証言を残していた。格納容器の爆発危機に直面したとき、作業員の9割が所長の意図に反して第二原発に移ってしまった事実も語られている。菅首相が東電に乗り込んで「撤退は認めない」と叫んだ、有名な「東電撤退事件」の真相の一部がやっと現れた。しかし、政府事故調の報告書には、このことがきちんと反映されているとは言い難い。現政府は吉田所長だけでなく772人に対して行われた調書を「非公表にする」としている。事故の詳細を教える一級の資料をなぜ出さない。

9割、650人が別の原発に一斉に移った

拡大福島第一原発4号機の内部。事故から3年後でもこんな状態だった。2014年1月撮影
 吉田氏は政府事故調から計13回、述べ時間29時間にわたって聴取された。担当したのは事故調事務局に出向していた検事。「捜査のプロ」が事実を確認しながら聴取したもので、資料としては一級品だ。 

 この調書は公表された訳ではなく、朝日新聞が入手し、独自に5月20日と、その後に報じた。事故調査では多くの人が聴取されたはずだが、これほど詳しい記録が残されていることは知られていなかった。ほかのメディアでは報じられていないため、吉田調書が存在が明らかになったニュース自体を知らない人も多いだろう。

 吉田調書は語り口調のまま書かれており、事故直後の原発内の恐怖、焦り、緊張がそのまま分かる。

 福島事故で最も緊張感が高まり、事実、最も大量の放射能を放出したのは11年3月15日朝だった。「運命の日」といわれる。前夜から2号機の格納容器の圧力が設計上の耐圧上限の2倍まで上がり、だれもが「爆発が近い」と恐怖を感じていた。爆発・破壊すれば、とんでもない量の放射性物質が飛散する。

 その緊張の中、午前6時、大きな爆発音がして、原発構内にいた人を震撼させたが、吉田所長は午前6時42分、「第一原発近辺で線量の低いエリアで退避すること。異常でないことを確認したら戻ってきてもらう」ことを所内のテレビ会議で命令した。爆発音はしたが何の音か不明で、周囲の放射線レベルも上がっていなかったことから「2号機の格納容器の爆発・破壊ではない」と判断したためだった。

 ところがその指示に反して、所内にいた人の9割にあたる650人が10キロ離れた第二原発に移動してしまったのである。吉田調書には「本当は私、2F(第2発電所)に行けといってないんですよ」とある。

 第一原発に残ったのは69人だけだった。吉田氏の呼び戻し要請によって原発の制御に必要な人が第二から第一に戻り始めたのは同日昼ごろだったという。

 その間は原子炉の制御にとっても危険な時間だった。2号機で白い湯気状のものが噴き出し、4号機で火災が発生するなど事態が悪化した。その時間を原発は人員不足で過ごしたことになる。

事故調の報告書もおかしい

 「9割が所長の意に反して第一原発を離脱」。この事実は知られていなかった。実は、東電は前日の夜から事故の悪化を見越して第二原発への移動を考えており、これを清水社長が首相官邸に伝えたところ、菅首相が激怒し、15日早朝に東電本社に乗り込んで「撤退は許さない。逃げれば東電はつぶれる」と演説した事件が起きている。いわゆる「東電撤退事件」だ。9割の人が撤退した1~2時間前のことである。

 実際、菅首相の演説中だった午前6時に爆発が起きている。事故の拡大、官邸との対立という混乱の中で、所長指示の伝達がうまくいかず、「9割の離脱」につながった可能性が強いようだ。

 事故後、東電は一貫して「全面撤退は考えたこともない、必要な人員を残しての一時退避を考えており、実行した」と主張してきた。いずれかなりの数の人が第二原発に移ることになっただろうが、東電の説明と吉田調書は食い違っている。

 では、吉田氏の聴取をした政府事故調の報告書はこのてんまつをどう書いているか。分厚い報告書をめくり返して、当てはまる部分を探し出した。中間報告書の中にこうあった。

 「(15日朝、吉田所長は)吉田所長以下の幹部並びにプラントの監視及び応急復旧作業に必要な要員を除いて、福島第一原発外に一時退避するように指示をした。これらプラントの監視や応急復旧作業に必要な要員については、発電所対策本部の各機能班長が指名した。そして同日7時ごろ、吉田所長以下の幹部並びにプラントの監視及び応急復旧作業に必要な要員合計50名程度を除き、福島第一原発にいた者約650名が福島第二原発に一時退避した」

 吉田調書からみると、この内容は微妙に違う。まず、「福島第一原発外に一時退避」としているが、これでは最初から「第一原発の外に行け」となってしまい、所長の指示と違ってくる。「必要な要員合計50名程度を除き」もニュアンスが違う。必要な人も出てしまったから、後で吉田所長が呼び戻したのではないか。そもそも、報告書ではすべてが「整然と計画通り」行われている文章になっており、行き違いやトラブルなど何もなかったかのように書かれている。

肝心な部分はテレビ会議の「音声なし」

 実は、6時42分の吉田所長の命令は、テレビ会議の録画におさめられている。ここで何をいったかを確認すれば、政府事故調の表現のおかしな部分を検証できる。しかし、その部分は音声が録音されていないのである。緊急時対策室で大勢が吉田氏の命令を聞く画像はあるが、吉田氏が何をいっているかは分からない。

 肝心な部分だけ音声が消えている……。もう一回起きている。菅首相が東電本社に乗り込んで「第一原発からの撤退は許さない。逃げれば東電はつぶれる」と大勢の東電社員の前で演説したが、テレビ会議システムのこの部分だけがやはり音声が消えている。東電は「ハードディスクがいっぱいだった」「音声録音を忘れていた」などと後で説明したが、2度とは不可解だ。

 私自身、この「東電撤退事件」には強い関心をもって取材してきた。このWEBRONZAでも何回か書いてきた。(「東京を救ったのは菅首相の判断ではないか」、「「撤退するか残るか」。東電と菅首相が直面した究極の選択」など)

 吉田調書の感想は、「やっぱり」というものだった。東電にはあまり知られたくない事実があったということだろう。しかし、それに関して事故調報告書もあいまいに書かれていることはショックだった。

 ただ、650人が離脱したことをどう考えるか。「逃げたことはよくない」とはいえないと思う。当時、現場にした人は原発が壊れつつあると感じていただろう。緊張と恐怖の中にいた。「現場を離れたい」と思うのは当然だろう。吉田調書では、それを知ったときの気持ちを吉田所長は「しょうがないな」といっている。

「事故現場に残る」か「国土の広汎な汚染を許す」か、「究極の選択」

 しかし、この事態は大変に貴重な教訓を残した。原発事故で原発構内が高濃度に汚染される事態になったときどうするか、という問題だ。撤退は広大な国土の汚染を生む。原発に残れば作業員の命に関わる。「作業員の安全か、国土の汚染か」という「究極の選択」を迫られる。これが原子力の本質だ。原発をもつのであれば、「いざというとき、だれがどう収束作業をするのか」を想定しておかなければならない。

 絵空事ではない。1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発の事故では、事故・火災を収束させるため消防士たちが高放射線の下で過酷な消火活動に従事した。そして放射線障害で30人近くが死亡した。しかし、その作業のおかげで、放射能の大量放出は10日間で止まった。もし、作業員が原発を離れていたならば、世界は何倍もの規模で汚染されただろう。

 福島も一歩手前まで行った。菅首相は東電本社内の演説で「これは2号機だけの問題ではない。2号機を放棄すれば1号機、3号機、4号機から6号機、さらには福島第二のサイト、これらはどうなってしまうのか。これらを放棄した場合、何カ月が後には全ての原発、核廃棄物が崩壊して放射能を発することになる」と言った。

 吉田所長は、作家の門田隆将氏のインタビューで「最悪の事態としてチェルノブイリの10倍の汚染を考えた」と話している。そして、原子力安全委員長だった班目春樹氏は、やはり門田氏に「汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本に日本が分かれる」可能性まで考えていたと話している。「日本3分割」である。間近で見ていた人はそこまで認識していたのである。

 3月15日に何が起きたかの検証は今後の原発の安全対策を考えるうえで、欠かせない。その詳しいデータが吉田氏が残した400ページの証言にある。しかし、それを公表させない力が働いている。

 そもそも、吉田氏は第1回聴取で「お話いただいた言葉はほぼそのままの形で公にされる可能性がある」、と通告され、「結構でございます」と答えている。ところが、吉田調書の存在が明らかになった後、政権は吉田氏が「公表されることを望みません。記憶の混同等によって事実を誤認している部分もあるのではないか」と記した上申書を公表し、非公表の理由に使っている。この上申書はいつどういう経過で書かれたのかを知りたい。

 それ以前に、こうした大事故の中心人物の正式な聴取録を非公表にする論理は何なのか。 ・・・ログインして読む
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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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