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続々・漂流するポスト3.11〜「吉田調書」スクープが気づかせる過酷事故の本質

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

この記事は、2014年5月20日付の朝日新聞紙面をはじめとした、吉田調書に関する報道に基づいたものです。この報道については、こちらをご覧ください。(2014年9月11日 WEBRONZA編集部追記)

 「美味しんぼ」問題に象徴的に示されるように、原発を巡る世論が思考停止し、融解しかかっている。その意味でも、「吉田調書」のスクープは絶妙のタイミングだった。そう前稿で書いた。絶妙のタイミングというのは、私たちが目を背けていた(背けさせられていた?)生々しい危機の現実に、久しぶりに引き戻してくれたからだ。

 (前々稿でも紹介した通り)吉田調書というのは、 東京電力福島第一原子力発電所所長(当時)、吉田昌郎氏に対する政府事故調の聴取結果書のことで、朝日新聞が入手、スクープした(朝日デジタル、特集記事)。

 本来開示されるべきものが、ようやく開示された感がある。現場がいかに破滅寸前の危機的状況だったか、そして指揮系統の混乱と判断の誤りがどのようにして生じたのか。それらが現場指揮者の肉声で克明に語られている。

 最初に目につくのは、「美談ではなかった真相」だ。危険を顧みずに現場に残った作業者たちを、当時の外国メディアは「フクシマ・フィフティ」と英雄扱いした。国内メディアもそれに倣ったが、現実は違っていた。命令の誤解と、(意図的ではないかも知れないが)10km先の福島第2原発への逃亡。結果として一番肝心の時に、部課長級の幹部社員まで含む650人が、第1原発と第2原発との間をただ行きつ戻りつしていた事実。危機対応の緊急事態に当事者である東電が、事実上現場人員を大幅に縮小していた現実。

福島第一原発3号機(左)に放水する自衛隊の消防車。中央奥が4号機=2011年3月18日、陸上自衛隊中央特殊武器防護隊撮影

 そういえば、東電清水社長が菅総理(共に当時)に対して「全員退避」を主張した/しない、菅総理が誤解した/しないのやりとりが、一時期大きな問題となった。しかし今この調書を読むと、 それを問題にすること自体がいかに抽象論のナンセンスかを思い知る。官邸でのそういう原則論とは無縁の現場で、当事者たちは情報の欠如と誤解、爆発など事態の激変、わけても孤立無援の絶望のただ中で、もみくちゃにされていた。

 もともと各原発には、原子力安全・保安院(現原子力規制庁)に所属する原子力保安検査官が常駐することになっていて、事故発生時も当然福島第一にいた。だが少し情勢が悪化するとオフサイトセンターに退避し、さらにすぐ福島に撤退してしまうなど、いかにも影が薄く頼りない。

 そして吉田元所長が怨念を込めて述懐した通り「結局、誰も助けに来なかった」。彼らが死なず、また周囲に大量の急性被曝者や死者を出さずにすんだのは、いくつかの偶然に助けられたに過ぎない。

 このあたりの現場証言は全体として、ふたつの本質的な問題を提起している。ひとつは「命の危険を冒しても任務を遂行せよ」という命令を、(いかに国家存亡の危機であっても)そもそも会社は出せるのか。そういう法的、ないしは人権上の問題。もうひとつは、「想定外」の超法規的事態が現実となった時、誰が実際の意思決定をし、誰が最終的に責任を取るのか、という危機管理の原則的な問題だ。

 もう一点、この調書から改めてはっきりしたのは、

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