2014年06月24日
見学者でにぎわう富岡製糸場養蚕業は中国で生まれ、弥生時代には日本へ伝わっていたという。奈良時代にほぼ全国へ広がったそうで、江戸時代までには京都の西陣をはじめとする、著名な絹織物の産地も形成されていった。明治時代を迎えると、富国強兵の旗の下、外貨獲得のため国による生糸生産の振興が始まった。そのためには海外から優れた最新技術を導入する必要があり、その実践の場として官営の富岡製糸場が生まれたのが1872(明治5)年のことだった。それと前後して、製糸場へ繭を供給する養蚕業の近代化も、残る三つの構成資産などを活用して進められた。
クワの葉を食べるカイコ。もうすぐ繭をつくるようになるところが戦後、ナイロンなど化学繊維の普及に加えて、産業構造の変化によって農業人口が減少するなど、養蚕業を取り巻く状況は大きく変わった。
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