2014年07月28日
この原稿は、ニューヨーク発成田行きの機内で書いている。久しぶりにニューヨークを仕事で訪れ、その一つの打ち合わせが、グラウンド・ゼロに隣接するビルで行われた。眼下にグラウンド・ゼロそしてその横に新たな超高層タワーオフイスがそそり立つ様をこの目で見て、新国立競技場に関して、昨年10月24日に引き続いてもう一度書いてみる必要を感じたのである。
現在のグラウンド・ゼロは、旧ワールドトレードセンターの二つのタワーが建っていた場所に、二つの四角い空間が残され、そこに人工的な滝と水盤がある鎮魂の空間となっている(写真左)。被害者とその家族、さらには米国の喪失感を象徴するVOID(ぽっかりあいた穴)といえるだろう。しかし、それを取り囲むように新たな高層ビル群が建築されている。特に、隣接するOne World Trade Center (1 WTC)は、417m(これは、元のWTC North Towerの屋上の高さに合わせてある)の超高層ビルであり、下から見上げると無限遠点に向かっているように見えるという極めて象徴的な建築である(写真右)。
新国立競技場における問題点の一つとして、歴史的文脈が繰り返し議論されている。そこでの歴史性は、神宮外苑の実現に努力した先人たちの思いなどの蓄積による極めて穏やかなものである。同時に、多くの土地には、何らかの歴史性が存在する。東京で再開発を行おうとすれば、そこは江戸時代の大名屋敷や武家屋敷であったなど、必ず土地の歴史性が存在する。これを理由に、開発を躊躇していては、何もできない。
前回ご紹介した、ケンブリッジ大学は、ワトソンとクリックのDNA二重らせん発見の部屋を保存しないという決定を行い、その場所は、新たな研究施設が作られ、新領域の発展に賭けている。問題は、何を残し、何を残さないかである。
神宮外苑の歴史性は、グラウンド・ゼロのような、強烈かつ明確なものではない。そのため神宮外苑は、雑多な建物も建てられ、どれだけ大切にされてきたかは疑問であり、その歴史性の文脈もかなり曖昧であるように感じる。もちろん、青山通りから絵画館にかけての地域は、すばらしい景観と広々した空間が維持されており、この部分が維持されるべきことには異論がないであろう。しかし、その地域においてすら、今回の議論が巻き起こったあとでも、反対派の槇文彦氏自身も指摘する、神宮外苑に雑然と建てられてしまった建物群を何とかしようという動きは見られない。このことからも、神宮外苑にそれほど強い思いが共有されているとは感じられない。
さらに、
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