2014年07月31日
「なんだこりゃあ」と思うことの多い今年の上半期であった。問われたことに対して噛み合わない答えを返してスルーできてしまう。そんなことはあってはならないはずなのに、議会で、会見で、次々と起きた。
海外のメディアからも注目を浴びた都議会のセクハラヤジ問題では、ヤジを飛ばした議員が自民党会派を離れるだけでみそぎを済ませたことになった。その議員は会見前にカメラの前で「自分は決してヤジなんか飛ばしてないし、そんなことをした人は当然辞職すべきだ」と答えていた。にもかかわらず、突然、会見を開いて、「なんだこりゃあ」と言わざるを得ない発言をし、当事者間の謝罪の儀式が公開され、議会はそれ以上問わなかった。
しかし、これではこれを問題視した人々への何の答えにもなっていない。なぜなら、多くの人々が問題視したのは、誰が言って誰が言われたという個人レベルの問題ではなく、こんな発言をしたら社会的地位を失うという欧米の常識に比べ、大都市東京の議会の人権意識がこんな低くて良いのかという点だったからだ。
この問題の本質から目を離して、これで終止符を打ってしまったら、従来の悪しき慣習を正すせっかくの機会を棒に振る。当事者だけでなく、監視する立場である市民の論理的な思考と態度も問われるべき一件だろう。
「STAP細胞はあります」と語られた記者会見の後、日本のワイドショーやネット等で「彼女の印象でもって彼女を信用するのか否か」が議論の中心になっていたことにも違和感を覚えた。この問題の本質は、「論文は捏造されたのかどうか」である。科学的な説明や証拠が全く示されなかった科学者の会見に対して、例えば、仏国や英国のメディアは「インチキ科学者、インチキを重ねる」「日本の幹細胞学者 涙をこらえ頭を下げ赤恥をかいた」と手厳しく報じた。別の会見で理研の笹井芳樹氏が言った通り、「科学は宗教ではない。信じるか信じないかで論じられるものではない」のだ。
「集団的自衛権」は、
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