2014年09月02日
この夏、私には忘れがたい思い出ができた。夏休みに入った7月最終週の金曜、岐阜県飛騨市で開かれた「夏の一夜のサイエンスカフェ」(東京大学宇宙線研究所、飛騨市主催)だ。中学生や高校生、その保護者など約30人が集まり、地元神岡鉱山に建設中の重力波観測装置KAGRAの物理学者たちと語りあう、という催しだった。私の役回りは、対話の仲立ちをするコーディネーター。10代の少年少女が物理学者2人を質問攻めにして盛り上がった。だが今回は、その中身に立ち入らない。
本稿で焦点をあてたいのは、その会場だ。物理学者と私がパイプいすを並べて座ったのは、すり鉢の底。その視点から見上げると、客席は弧を描き、後ろにいくにつれて高くなっている。ここは教室ではない。劇場でもない。地元の人たちが「議事堂」と呼ぶ空間だった。国会の衆参両院本会議場のミニチュア版のようなつくりになっている。
では、議事堂がどうしてカフェ会場になったのか。理由は、この場所が10年前からもはや議場ではないからだ。もともと、旧神岡町議会の本会議場。それが飛騨市の誕生とともに消えた。だから、いま正しくは「旧議事堂」である。
旧吉城郡神岡町は、三井金属やその子会社が神岡鉱山で亜鉛や鉛を掘りだす企業城下町だった。1968年、富山県の神通川流域に多発するイタイイタイ病が神岡鉱山施設のカドミウム入り排水による公害病と認定された。鉱量も減り、2001年に採掘は終わる。その一方で1980年代、東京大学の物理学者たちが鉱山内に素粒子観測施設カミオカンデを置いて、小柴昌俊さんのノーベル賞につながる成果を出すと、科学の町カミオカの名は世界中に広まった。ところが2004年、折からの平成の大合併政策で、吉城郡2町2村が飛騨市となって、町史に終止符を打った。
飛騨市の市役所は、隣接の古川町に置かれた。その結果、悩みの種となったのが旧神岡町役場の使いみちである。ここでことわっておきたいのは、その庁舎は、ただの建物ではないということだ。設計者は、日本を代表する建築家磯崎新さん。1978年に竣工した4階建てビルで、外壁に曲面を採り入れた幾何学風のデザインがポストモダンな雰囲気をたたえている。だから、要らなくなったから壊すというわけにはいかない。
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