山内正敏(やまうち・まさとし) 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員
スウェーデン国立スペース物理研究所研究員。1983年京都大学理学部卒、アラスカ大学地球物理研究所に留学、博士号取得。地球や惑星のプラズマ・電磁気現象(測定と解析)が専門。2001年にギランバレー症候群を発病し1年間入院。03年から仕事に復帰、現在もリハビリを続けながら9割程度の勤務をこなしている。キルナ市在住。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
この8月は高知・徳島洪水が上旬に起き、中旬には広島での土砂崩れで多数の犠牲者が出た。下旬に入っても北海道での50年ぶりの大雨で崖崩れによる犠牲者が出ている。
犠牲者の出るような土砂崩れや洪水が起こると、決まって、どこどこの観測点で記録的な雨が観測されたという報道がある。それは確かに報道すべき情報だ。しかし、たまたまどこかの観測点で何らかの記録を更新する豪雨があると、それだけで「史上最大の降雨量では仕方ない」というあきらめに似た感覚を与え始める。少なくとも私の印象はそうだ。しかも、この手の豪雨となると必ずと言って良いほど、したり顔で「温暖化だから」と解説する人が現れる。そして、その手の話を聞けば、あたかも温暖化が災害の原因そのものであるかのような錯覚さえ覚える。これは極めて危険な思考誘導だ。
気象庁ホームページの資料「異常気象リスクマップ」によれば、1日降水量が200ミリを越える日数は、全国51ヶ所平均で75年前に比べて1.4倍になっている。南に行くほど豪雨が増える一般的な傾向と併せると、豪雨の増加が日本列島の猛暑化(地球温暖化という言葉で済ませることは間違いなのはWEBRONZA『猛暑の原因に関する3つの誤解』を参照)と関係している可能性は高い。
しかし、そのような解説は、豪雨によって起こる災害のどこまでが不可抗力(天災)で、どこからが対策可能だった(人災)か、その区別を曖昧にしてしまう危険を伴う。そもそも、我々がすべきことは、人災の要因をできるだけ減らして、天災に備えることなのだ。それが人事を尽くして天命を待つということだ。そのために不可欠な作業として、件の豪雨が本当の意味で記録的(百年に一度のレベル)なのか、そうでないか(数十年に一度のレベル)を、データから吟味することが不可欠となる。もちろん「天災」「人災」と単純化するのは、俗に言うレッテル貼りと同じ危険があるが、本稿ではあえて両者の違いを探ってみたい。
この作業の際、まず記録更新という文字にだまされてはいけない。というのも、