メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

無料

 吉田調書が公開された。その存在を明らかにした朝日新聞は、「命令違反し撤退」という記事(2014/05/20)が適切でなかったとして、記事を取り消した。私は、その記事を元に「吉田調書の歴史的意義」を論じた責任上(webronza2014/06/19)、吉田調書と関連調書を直接読んで、その意味するところを再度、検討することにしたい。

拡大福島第一原発の配置図
 全文で400頁以上にわたる調書を読み、評価することは簡単ではないが、私の見るところ、吉田調書の意義は、事故を起こした福島第1原発の責任者自らが当事者として、事故の経緯、原因、当事者の思いを率直に語っているところにある。

 吉田調書そのものに新情報はないという評価(開沼博、「「吉田調書」を正しく読み解くための3つの前提 、「朝日 vs. 産経」では事故の本質は見えてこない」ダイヤモンドオンライン2014/09/12)も行われているが、他の証言と付きあわせることによって、何が起きたのかの事実の確認を行い、さらに当事者の評価を読み取り、福島第1原発による事故評価の基礎となりうる。

「東日本壊滅」のリスク

 福島第1原発の事故から何を教訓として学ぶことができるかという視点から見ると、当事者である吉田所長自身が、「完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです」(2011年8月9日聴取記録(6)50頁)、「放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ」(2011年8月9日聴取記録(6)52頁)と述べているところが、我々にとって、一番衝撃的であり、重要である。

 原発は事故が起きると、「東日本壊滅」のリスクを抱えることが当事者のことばによって率直に語られている。なんとか事故を抑え込めたのは、現場の必至の努力と「いくつかの幸運」(4号炉工事の遅れで、燃料プールに水が残っていたなど)に恵まれたからであった。

 以下のような記述にそれを見て取ることができる。
「瓦れきが吹つ飛んでくる中で、現場にいて、一人も死んでいない。私は仏様のお蔭としか思えないんです」(7月29日聴取記録(2)46頁)、「水がやっと入ったんですよ」「やっと助かったと思ったタイミングがあるんです」(8月9日(6)53頁)。

何が起きたか

 次に何が起きたか、何が問題であったかという点では、地震と津波による、全電源喪失、DG(非常用ディーゼル発電機)使用不可能という事態はそれまで想定しておらず、各炉の状況がつかめず、水位計の数値を信じ、1号炉のIC(非常用復水器)も作動していると誤認した。水素爆発も大きな盲点であった。外部電源喪失のみならず内部負荷喪失(電源盤など)も深刻であり、電源復旧も大きな課題であった(7月22日、7月29日、8月8日の聴取記録参照)。

 「コミュニケーションが取れていなくて、現場の状況が本当に私も最初の半日ぐらい、想像できなかったです」(11月6日聴取記録(11)8頁)。「(3号炉の爆発)40何人行方不明という話が入ってきた。私、そのとき死のうと思いました。そこで腹切ろうと思っていました。」(7月29日聴取記録(2)46頁)

組織連携の悪さ、相互不信の問題

拡大2011年11月12日、福島第一原子力発電所の免震重要棟で、報道陣の質問に答える吉田昌郎所長(左から2人目)。右は細野豪志・原発担当相(当時)=相場郁朗撮影
 今回の吉田調書公開によって、福島第1原発事故対応の問題点、とくに福島第1原発と東京電力本店、東京電力本店と政府官邸、福島第1原発と政府官邸の3者間での連携の悪さと相互不信が浮き彫りにされている。東電撤退問題もこの問題の1つであるといってよい。

 第1の当事者であり責任者である吉田所長の、東電本店への不信と意思疎通の悪さが目立つ。「結果としてだれも助けに来なかったではないかということなんです」「ものすごい恨みつらみが残っていますから」(7月29日聴取記録(2)38頁)という点では、東電本店も政府官邸も同じである。

 「本当の現場、中操という現場と、準現場の緊対室と、現場から遠く離れている本店と認識の差が歴然」、「一番遠いのは官邸ですね、要するに大臣命令が出ればすぐに開くと思っている」(7月22日聴取記録(1)39-40頁)、「ベントの実施命令:我々は現場では何をやってもできない状態なのに、ぐずぐずしているという」(同49頁)、「注水を停止するなんて毛頭考えていませんでしたから」(7月29日聴取記録(2)9頁)。

 政府官邸に対する不信感も強い。「官邸と現場がつながるということ自体が本来あり得ないですよね」(8月9日聴取記録(6)18頁)「度を失った原子力安全委員長だな、何となく声のトーンからわかった」(同48頁)。

「撤退」問題

 いわゆる撤退問題は、当時の菅直人首相が、東電本店に3月15日早朝に乗り込み、「撤退はあり得ない」「撤退したら東電は必ずつぶれる」という演説を行ったと(2012年4月3日菅直人聴取記録34頁)、有名になったところであり、朝日新聞の取り消された記事は「命令違反し撤退」(5月20日付け)という見出しをつけた。

 今回の吉田調書では、何度も退避命令の指示に言及しているが、その場合でも運転担当者は残しての退避であり、いわゆる全面撤退ではないし、実際に逃げたわけでもない。

 吉田調書には、東電本店と官邸への不信感にとは反対に、福島第1原発の従業員に対する深い信頼と感謝の気持ちがあふれている。

 「部下たちは、――日本で有数の手が動く技術屋だったと思います。それでこのレベルですから」「おさまったと思っています」(7月29日聴取記録(2)44頁)「本当に感動したのは、みんなが現場に行こうとするわけです。ほんとんどの人間は過剰被曝に近い被曝をして」(同上、48-49頁)。

 退避は本店を通じて官邸にも伝えられたが、撤退と受け止められて、菅首相が東電本社に向かうという事態になる。当時の枝野官房長官は、「間違いなく、全面撤退の趣旨だったと、これには自信があります。」(2012年3月25日枝野幸男聴取記録、9頁))という。

 福島第1原発、東電本店・政府官邸の間での「伝言ゲーム」の結果、政府官邸は「退避」を「全面撤退」と受け取った。しかし、このような原発事故の場合のように、直接の担当者が放射能被曝などの危険に晒されながら、どこまで責任を果たす義務があるかという根本的問題が残り、さらに住民避難の問題など法律の規制と権限、連携問題は未解決のままである。

事前の地震・津波対策

 残る大きな問題は、地震と津波に対して、事前にどのような評価と準備が行われていたかである。この問題についての吉田所長は、津波の引き潮などへの言及は数回あるものの(7月22日聴取記録)、防潮堤建設については、「発電所の周りでは波よけするけれども、両脇の町、村から同じものが来たら全部沈んでしまう」(8月8日聴取記録(5)21-22頁)と消極的で、貞観地震と堆積物調査についても疑問を呈している(11月6日聴取記録(10)24頁)。

 こうなっているのは、吉田所長自身が、2007年の中越沖地震による東電柏崎刈羽原発の被害調査と対策に参加し、「日本の設計は正しかった」「逆に自信を持っていた」(同上、50頁)と過信したところにもよると思われる。この点については、政府事故調査委員会中間報告書にも指摘されている(第IV章、122頁)。

 「柏崎は――無事に安全に止まってくれたわけですよ。――設計用地震動を大きく何倍も超えている地震でそれがある意味で実証されたんで、やはり日本の設計は正しかったと、逆にそういう発想になってしまった」(11月6日聴取記録(10)50頁)「今回のような、電源が全部、あて先も涸れてしまうということが起こっていないわけです。そこが我々の1つの思い込みだったかもわからないですけれども、逆に自信を持っていたというか」(同上、50頁)。

 結局、全電源喪失はこれまで起きていない、想定外であるという枠組みに吉田所長も囚われていたということになる。以下のような発言となる。

 「インターナショナルの原子炉の経験からしても、電源が全部落ちてしまって、内部も全部なくなってしまいますという事象は1回も起こっていませんから、そこから考えて、ないだろうと踏んできた。それは甘いとか何とか、批判されることは」(同、54頁)。

国家の存亡にかかわる事態

 以上のように、吉田調書から読み取れる一番重要なメッセージは、原発は事故が起きれば、「東日本壊滅」というリスクを抱えていることを直接の当事者が認めていることである。実際に「東日本壊滅」に至らなかったのは、現場の必至の努力といくつかの偶然が重なったためである。吉田所長をはじめ、日本の原発運転事業者は、全電源喪失は想定外とした枠に囚われており、地震・津波対策を軽視し、先延ばしにした。

 さらに、過酷事故が起きた場合の対応策、中央政府、電力事業者本部、原発事業所、各発電炉の連携が極めて悪いことも明白になった。東電撤退問題もその結果であるが、過酷事故になった場合の当事者の対応責任や避難誘導のあり方など、未解決の問題が多く残されたままであり、そのなかで日本の原発再稼働が始まろうとしているのである。

 吉田調書を含む政府事故調査委員会の聴取記録は膨大であり、その記録の公開方法などを正式に定めることなく、委員会が解散となり、今回のような事態となった。個人と組織の責任を問うことが目的ではなく、事故の原因と経過、教訓を引き出すことが目的であれば、聴取記録が何らかの形で、一定の期間を置いて、公開される必要があるのは、いうまでもない。ましてや福島第1原発事故のように、国家の存亡がかかる事態では当然である。多くの国民の関心事であり、公論の基礎資料となるものであり、是非、適切なかたちで全面公開されることを強く望むものである。

 なお、吉田調書は、以下の内閣官邸のHPから入手できる。11のファイルからなり、本稿では、(1)から(11)まで番号をつけている。

http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/hearing_koukai/hearing_list.html#ya
吉田 昌郎 東京電力福島第一原子力発電所長

(1)2011/7/22 事故時の状況とその対応について (PDF:7,010KB)
(2)2011/7/29 事故時の状況とその対応について (PDF:7,170KB)
2011/8/8
(3)2011/8/9 事故時の状況とその対応について 1 (PDF:3,639KB)
(4)事故時の状況とその対応について 2(PDF:3,514KB)
(5)事故時の状況とその対応について 3 (PDF:3,513KB)
(6)事故時の状況とその対応について 4 (PDF:6,870KB)
(7)事故時の状況とその対応について (資料)(PDF:5,298KB)
(8)2011/8/9 汚染水への対応について (PDF:536KB)
(9)2011/10/13 高濃度汚染水の存在についての3月24日以前の想定について
4月4日統合本部会議における発言の趣旨・背景について (PDF:625KB)
(10)2011/11/6 事故時の状況とその対応について (PDF:7,481KB)
(11)2011/11/6 事故時の状況とその対応について (PDF:4,233KB)


筆者

吉田文和

吉田文和(よしだ・ふみかず) 愛知学院大学経済学部教授(環境経済学)

1950年生まれ、兵庫県出身、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。北海道大学大学院経済学研究科教授を経て2015年から現職。北大名誉教授。専門は、環境経済学、産業技術論、主著『ハイテク汚染』岩波新書、『環境経済学講義』岩波書店、最近は低炭素経済と再生可能エネルギーの普及に関心を持つ。札幌郊外の野幌原始林の近くに住み、自然観察と散歩を趣味とする。

吉田文和の記事

もっと見る