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ノーベル物理学賞を素直に喜べない方々へ

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

 青色発光ダイオードについにノーベル賞が授与される。開発成功の直後から「ノーベル賞に値する」と言われ続け、それが現実のものとなった。赤崎勇さんが長年研究し、赤崎研究室の大学院生だった天野浩さんが実験を成功させた。また、徳島の蛍光体メーカーだった日亜化学工業の社員として中村修二さんが製品化に導いた。基礎から応用まで日本人がやり遂げた見事な成果である。だが、受賞直後に流れたツイッターを見ると「意外」「何となくモヤモヤが残る」「ほろ苦い」といったつぶやきが散見される。何故なのか。

ノーベル物理学賞受賞が決まり記者会見する名城大の赤崎勇教授=7日午後7時16分、名古屋市、高橋雄大撮影

 青色発光ダイオードの受賞を「意外」というのは、一部の(天の邪鬼な)研究者だけだろう。一つは世間が「ノーベル賞間違いなし」と囃したことに対する反発があったと思う。もう一つは、ノーベル賞は発明ではなく、発見に対して与えられると考えているからだと思われる。

 確かに歴代の受賞者を見ると、基礎的な発見が評価された人が多いが、2009年には光ファイバーを実用化したチャールズ・カオ氏とCCD(電荷結合素子)を発明した2人に、2000年は集積回路を発明した米テキサス・インスツルメンツのジャック・キルビー氏と実用的な半導体レーザーを開発した2人に贈られており、世界を変える発明も高く評価していることがわかる。青色発光ダイオードが授賞対象となることは何ら意外ではないと私は思う。

 「モヤモヤ」というのは、なぜこの3人なのかがストンと腑に落ちないということだろう。これまでも発光ダイオードには権威ある賞が与えられているが、受賞者はさまざまだ。

 「ノーベル賞並みの世界的な賞」として日本政府が構想し、故松下幸之助氏の寄付で1985年に実現した「日本国際賞」は、発光ダイオードを初めてつくったニック・ホロニアック米国イリノイ大学教授を1995年の受賞者に選んだ。青色発光ダイオードの開発者には賞を出していない。

 日本の物理学界でもっとも権威ある賞の仁科賞は、1996年に中村さんに授与された。そして、朝日新聞社は2000年度朝日賞を赤崎、中村両氏に贈った。

出張先のフランスで受賞決定の喜びを語る天野浩さん=7日、リヨン、イザベル・コントレーラス撮影

 京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が創設した京都賞は、赤崎さんを2009年の受賞者とした。ちなみに翌10年には山中伸弥さんを選んでおり、山中さんは12年、赤崎さんは14年と、京都賞受賞者からノーベル賞受賞者が輩出した。2000年ノーベル賞のキルビー氏も93年に京都賞を受けている。また、09年ノーベル賞のカオ氏は96年の日本国際賞受賞者だ。

 WEBRONZAで予測記事を書いた大栗博司さんは、赤崎、中村、ホロニアックの名前を挙げた。ノーベル賞は3人までという決まりがある。この3人でもおかしくなかっただろうが、選考委員会は青色発光ダイオードだけに授賞するという選択をした。天野さんの受賞は誠に喜ばしい。が、モヤモヤが残るといわれればそうかもしれない。

 また、中村さんが日亜化学を飛び出して、米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授になったことに「ほろ苦さ」を感じている人もいるようだ。なぜ、日本の企業は、あるいは日本社会はノーベル賞を受けるような人材から見放されるのか、と。あるいは、逆に中村さんを「恩知らず」と受け止め、そこに「ほろ苦さ」を感じている人も少なくないように思う。

 中村さんが

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