2014年10月15日
10月11-12日の週末に、ほぼ1年ぶりに福島を訪れた。2011年11月から毎年開催している「ふくしま会議」に出席するためだ。「ふくしま会議」は、福島の市民の声を内外に届けよう、との趣旨で市民のイニシャティブで立ち上げた手作りの市民会議である。その直前、10月9日には、東大で「3.11後の原子力を考える」というシンポジウムに参加した。こちらは、事故当時に直接かかわった元米国原子力規制委員会のチャールズ・カスト氏をはじめ、同じく事故当時官房副長官であった福山哲郎氏、国会事故調で中心的役割を果たした黒川清氏、民間事故調の船橋洋一氏ら、専門家による貴重な意見交換であった。この二つのイベントに参加して、私が痛感した共通のメッセージは「福島を忘れるな」であった。
「ふくしま会議」では、いくつか気になるキーワードが出てきた。まず写真家の大石芳野さんが述べられた「何も変わっていない」である。3年間で除染活動も進み、避難解除となる地域も出てきた。しかし、地元の方々の苦しみや将来への不安は何も変わっていないのである。そして、次に出てきた言葉が「棄民」であった。広島・長崎、そして水俣と続く、政府による「棄民」(被害者の人権が忘れ去られていく)が、福島でも起きつつあるのではないか、という指摘だ。
会議の中で、若い女子会を主催している鎌田千瑛美さんが「水俣病は過去のものと思っていたが、60年後の今も続いている。水俣の同世代の人たちと今後も交流を続ける」と語っていたのが印象的であった。詩人の和合亮一さんも「痛みを共有すること」の重要性を訴えられていた。国民全員でこの「痛みを共有する」ことが必要だ。
一方で、昨年ころから始まった前向きな動きも印象的であった。会津電力によるエネルギー自立、ソーシャルビジネスを通じての福島からの発信、若者たちによる「復興記念館」プロジェクトの立ち上げ、といった地元からの動きは心強い限りである。「福島を耕す」という今年のテーマは、このような地元の方々の未来に向けての気持ちと現状をよく表していると思う。
問題は、このような地元の動きや声が、中央(東京)や他の地域に届いていないことである。特に2020年オリンピック開催に沸く東京との温度差の大きさは深刻である。実際、福島での復興に必要な土木工事の人材がオリンピック特需に奪われつつあるという。これでは、福島の人たちの期待に応えられないばかりか、不安をさらに募らせることになっているのだ。
似たようなことがエネルギー政策にも起きつつある。東大のシンポジウムで、事故の教訓として参加者が声をそろえて述べたのが
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