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[1]常識破りの連続だったインフルワクチン報道

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

 インフルエンザワクチンに関する報道は、常識への挑戦の繰り返しだった。世間の人が思っていることは「実は違う」。時には大きく、時には小さく警鐘を鳴らす報道が続いてきた。

 誰もがワクチンの最新情報に敏感なわけではない。どこかの時点での「常識」をそのまま持ち続ける人が大半だろう。その集積が「社会の常識」というものになる。インフルエンザシーズンを前に、この構造を一度きちんと解きほぐしてみたいと思う。

 子どもたちにインフルエンザワクチンの集団接種が行われるようになったのは1962年だ。私自身が子どもだった時代で、それほど記憶に残っているわけではないが、親たちは喜んでいたと思う。

 なぜ子どもの集団接種だったのか。子どもを守ろうという「幼少者優先」の考えとともに、学校での集団接種は効率的で、子どもがかからなければ感染する大人も減るという「社会防衛論」もしくは「学童防波堤論」と呼ばれた考えがあった。もっとも当事者として言わせてもらえば、防波堤論などは知らされず、自分の病気予防のために痛い注射を我慢した。

1972年9月20日付朝日新聞の記事1972年9月20日付朝日新聞の記事
 1964年、当時は日本原子力研究所研究員でその後東北大教授となる吉原賢二さんの次男が1歳1カ月でインフルエンザワクチンの接種を受けた直後に高熱を出し、重度のまひと知的障害が残るという悲劇が起きる。吉原さんは同様の例がないか調べ始め、「71年までに少なくとも21人が死亡、16人に後遺症」という結果をまとめた。これが1972年9月20日付朝日新聞で報道される。

 吉原さんは、国を被告として損害賠償訴訟を起こした。この訴訟に原告として加わる被害者家族が増えていき、一方で同様の予防接種禍訴訟が全国で起こされていった。

 80年代に入ると国敗訴の判決が相次ぎ、これらは当然大きく報道された。対象となったワクチンはインフルエンザに限らず、百日咳、種痘、ポリオ生ワクチンなど様々だった。

 一連の報道で、「ワクチンはときに重大な副作用を引き起こす」ということが常識として浸透した。それでも、ワクチンは病気を防ぐという点に疑いを持つ人は少なかった。そこを揺るがしたのが、群馬県前橋市医師会による「前橋リポート」だ。80年から集団接種をやめた前橋市と熱心に推進している近隣の高崎市などとを6年にわたって比較し、両者の患者発生率に差はなかったと結論づけたものだ。

1987年3月1日付朝日新聞の一面の記事1987年3月1日付朝日新聞の一面の記事
 厚生省研究班は、この調査結果を受け入れる形で「強制集団接種の医学的な根拠は疑問」とする中間報告を87年2月までにまとめた。そのことを朝日新聞は3月1日付け朝刊一面で大きく報じた。

 ところが、6月11日にまとまった最終報告案では、「前橋の調査は、厳密に検討すると不確実な点があり、全面的に採用しがたい」とし、「学級閉鎖が減るなど、学校保健上の成果はある」「中止した時、流行が増加する可能性も否定できない」と、中間報告とはトーンを一転させた。

 

 この逆転劇を受けて、6月14日付け朝日新聞に掲載された社説を全文引用する。

だれのためのワクチン注射か(社説)
「インフルエンザの予防注射は、あまり効かないらしい」--という話は、専門家の間では、公然の秘密であった。少なからぬ医師たちがわが子については注射を受けずにすむよう、学校への届け出の書き方を工夫してきた。確率は低いとはいえ予防注射に事故はつきものだからである。
 このワクチンが義務化されて10年経たのを機に、厚生省に「インフルエンザ流行防止に関する研究班」が設けられ、最終報告案がまとまった。公衆衛生審議会のインフルエンザ小委員会がさらに論議を重ねる。
 この論議がガラス張りで行われること、国際的な評価に耐えられる客観性と論理性の通った結果を出すことを期待する。なによりも、毎秋2回痛い思いをし、ときに副作用の危険にさらされるこどもたちの身になって論議してもらわねばならない。
 日本では昭和51年に予防接種法が改正され、3歳から15歳のこどもたちは、毎秋2回のインフルエンザ予防注射が義務づけられた。健康なこどもたちに義務づけている国は、いま、世界中で日本だけである。
 諸外国はなぜ義務づけないのか。
 こどもたちには、必要性が乏しく、効果があまりに少ないと判断しているからである。
 世界で広く用いられているワクチンは、2つの条件を備えている。第1は、かかると死の危険が大きいか、治ってもポリオのように後遺症を残すような病気のワクチンであること。第2に、その効力がはっきり証明されていること、である。
 日本で接種が義務づけられている健康な子どもは、インフルエンザにかかっても、学校を休むのは数年間に2、3日である。この程度の病気に対し毎年数百億円の費用をかけ、半日を奪って予防注射をする日本の行政は、諸外国から奇異の目で眺められている。
 しかも、他のワクチンに比べて効果が著しく低い。このウイルスは毎年新型に変身してしまうからである。そこで、ことしの冬はこの型が流行するのではないか、と予測して製造を始めるのだが、日本では、大量に生産するため、予測の時期がかなり早い。そのせいか、当たったことはめったにない。
 英国の公衆衛生学者たちが、全寮制の生徒たちの協力を得て7年間観察した調査がある。世界的に専門家の評価を得ているこの調査によると、予防注射を受けないグループも毎年受けたグループもインフルエンザにかかった率は同じであり、最もかかりにくかったのはかつて自然感染したグループだった。自然感染によって体が獲得する免疫は、ウイルスが少々変身しても対抗できるのだ。
 日本の「研究班」の疫学部会も同様の結論に達した。集団接種を昭和55年から中止している前橋市と熱心に推進しているお隣の高崎市を比較した結果、差はなかった、とことし2月の中間報告に記している。
 中間報告はさらに「現行の予防接種を中断しても、流行や感染や発病の危険を増大させることはない」とはっきり結論づけていた。ところが、最終案では、説得力ある根拠が示されぬまま結論があいまいにされている。
 こどもたちへの義務接種を打ち切れば、ワクチン製造業界は経営的な問題を抱えこむことだろう。原材料のタマゴを納入する業者も悲鳴をあげるに違いない。「効果あり」として接種を推進してきた厚生省もバツの悪い思いをするだろう。
 しかし、こどもたちは、効果の薄い注射を打たれずにすむ。税金の無駄遣いも減る。その予算を「本当に効くインフルエンザワクチン」の開発にあててほしい。

 この時点で、「今のインフルエンザワクチンは効かない」「それを多くの医者は知っている」「厚生省は自らのメンツと業界を守るため、接種推進の旗を降ろさない」という構図が出来上がった。中間報告が出たあと、班内で対立する意見がまとまらず「班長預かり」となって密室で意見調整をし、班員への説明さえなく最終案が出るという経過では、こう報じられて当然だったろう。         (続く)