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官房長官の「まず環境から改憲」に異議あり

科学案件をもちだせば憲法が古びて見える、というトリックの怖さ

尾関章 科学ジャーナリスト

 年が明けて、来るものが来たな。そう感じさせる小さな囲み記事を見つけた。見出しは、「改憲『まず環境権や私学への公費支出』」(朝日新聞2015年1月11日付朝刊)。菅義偉官房長官がBS朝日の番組に出て改憲について語り、9条改定よりも前に「まずは欠けている部分の大事なところから入っていくべきだ」との見解を示したという。欠けている大事なものの筆頭が「環境権」だというのである。

首相官邸を訪れた宇宙飛行士の油井亀美也さんの説明を聞く菅義偉官房長官=1月13日午後、越田省吾撮影

 耳ざわりのいい話ではある。でも、本当にそう言えるのか。

 私は2年前、当欄に「科学を改憲のダシに使うな」という論考を書いた(2013年5月3日付)。改憲論者、とりわけ中道派の改憲容認論者は、改めるべき点として科学技術にからんだテーマを挙げることが多い。生態学や地球科学、環境科学にかかわる「環境権」、遺伝子技術や生殖医療、再生医療に対する「生命倫理」、IT時代に求められる「プライバシー保護」などだ。だが、科学の本質に立ち返って考えると、この主張は賢明とは言えないと論じたのである。

 改憲論で「科学がらみ」の案件がもちだされやすいのは科学技術の進み方が速いからだ、と私は思う。工業化が進めば環境保護が必要になる。生命科学の進展には倫理面の歯止めが欠かせない。コンピューター社会では個人情報の扱いに慎重さが求められる。この展開の速さに比べると、過去の証文はどんなものであれ干からびて見える。現行憲法は時代遅れだという印象を与えて、改憲タブー視を取り払うには「科学がらみ」をかませるのが一番ということだろう。

 だがまさにこの一点で、「科学がらみ」の改憲は慎重であるべきだ、と私は考える。「進み方が速い」ために、ひと昔前に「問題あり」とされたことが10年たって受け入れられたりするからだ。

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