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原始重力波「発見は誤り」にみる科学の洗練

ライバルの懐へ―「訂正」のダメージを最小限にした観測チームのしたたかさ

尾関章 科学ジャーナリスト

 1年前の大騒ぎは、実は空騒ぎだった。そんな科学ニュースは、STAP細胞だけではない。去年3月、米国ハーバード・スミソニアン天体物理学センターなどから成るBICEP2観測チームが「原始重力波の痕跡を見た」と発表したのは、どうやら誤りだったらしい。

南極点近くの電波望遠鏡「BICEP-2」(米ハーバード大提供) 拡大南極点近くの電波望遠鏡「BICEP-2」(米ハーバード大提供)
 今年1月、この逆転修正発表をしたのは、BICEP2チームの競争相手である欧州宇宙機関(ESA)だった。一見すると、ライバルが1年前の先行研究を否定したように思える。だが発表資料を読むと、「原始重力波の決定的証拠なし」と結論づけたのは、当のBICEP2がESAとともにも名を連ねる国際グループであることがわかる。ここには、あえて競争相手と手を結んで「訂正宣言」によるダメージを最小限に抑えるしたたかさが見てとれる。科学につきものの失敗に直面したときの洗練された危機管理の見本となるかもしれない。

 重力波とは、時空間そのもののひずみが波となって広がる現象。天体の爆発や合体が引きがねになるだけでなく、宇宙の始まりにも放たれるとみられている。後者が原始重力波だ。その検出は、宇宙が誕生直後に急膨張(インフレーション)したことの裏づけになる。BICEP2チームは南極大陸に置かれた電波望遠鏡で、宇宙背景放射と呼ばれる電波の振動方向(偏光)の分布を調べ、「原始重力波の痕跡を発見した」と主張していた。このニュースは、インフレーション理論の提唱者の一人に宇宙論学者の佐藤勝彦さんがいることもあって日本でも大きくとりあげられた。

 ところが今回、ESAの天文衛星プランクの観測などによって、この偏光の分布パターンが宇宙背景放射によるものでない可能性が強まったのだ。ここでにわかに関心の的となったのが銀河系内の星間塵である。

 宇宙背景放射は宇宙の始まりのビッグバン(大爆発)の名残で、発信源は天空の果てにある。これに比べると銀河系内は、ほんの前庭だ。ESAの発表資料によると、プランク衛星の観測で「前庭の寄与が、これまで考えられていたよりもずっと大きいらしい」とわかった。「塵(ちり)から出る偏光放射は全天にわたって顕著で、もっとも空間が澄んでいる方角でさえBICEP2が信号として検出したものに見合うほど」という。その結果、「残念なことではあるが、あの信号が宇宙のインフレーションの痕跡とは確認できなかった」と、プランク衛星の観測にかかわるフランスの研究者ジャンルー・プジェ氏は発表資料でコメントしている。

 BICEP2の観測結果については私も去年、原稿を2回書いた。一つめは3月に当欄にアップした「科学報道あらたな悩み、重力波を『見た』のか」(3月27日付)という論考だ。重力波の「痕跡」を見たという発表が、日米欧の物理学者が一番乗りをめざす重力波発見競争に与える影響に焦点を当てたものだが、そこでBICEP2の発表そのものに懐疑の念を表明できなかった不明は認めないわけにいかない。

 二つめは、アエラ8月18日号に書いた「『哲学』も観測の時代」という記事。編集部から原始重力波を題材に出稿してほしいと発注されたのだが、その時点で、BICEP2の発表を疑問視する見方が学界に出始めていた。そこで、本文冒頭の3段落目に留保の文言を入れさせてもらった。「ひと言ことわっておくと、これがぬか喜びになることはありうる。今回の観測が天空のごく一部しか見ていないこと、解析結果が必ずしも理論予想のど真ん中を突いていないことなどから懐疑論もあるからだ」というものだ。結果として、その「ぬか喜び」が現実となったのである。

 ここで私が注目したいのは、今回の逆転発表に至るまでにBICEP2チームがとった行動だ。 ・・・ログインして読む
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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1冊のブログ「本読みby chance」を開設中。

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