自分の過去の論文を使うのを不正とする形式主義に陥るな
2015年02月11日
ここ数回、学位論文のあり方に関する論考が続いている。それらを読み比べてみると、大枠では賛同するものの、細部で学位論文に対する考え方が分野や個人で違うことを再確認した。
佐藤匠徳氏は、学位論文は独立した出版物であるから、仮に自分が以前に書いた論文からであろうとそのコピペは盗用であり 許されないと主張する。高橋真理子氏は立花隆氏とともに、複数の日本語雑誌にほとんど同じことを書いても気にしていない日本を代表する研究者に違和感を持ったと述べている。
むろん自分の書いたものであれその再利用はほめられたことではない。しかし、それは現在問題視されている学位論文の不正・剽窃とは全く次元の異なるものであり、それらを混同してしまってはかえって物事の本質を見誤ると考える。果たしてこの私見は、なれ合い体質の大学人の自己弁護なのかどうか。以下を読み進めた上で判断して頂ければ幸いである。
2015年2月6日の拙考に、「1938年に大阪大に提出された湯川秀樹氏の博士学位論文。ノーベル賞受賞の対象となった論文を含む」という注つきの写真が付け加えられていた(正直に告白すると、この注はコピペした)。
これは編集部の判断で挿入されたものであるが、私はその画像をみて少し気になった。湯川氏の時代の学位論文は手書き、あるいはタイプ原稿であるはずだが、これは明らかに通常の印刷物のように見える。間違っているのではないか。
大阪大学のサイトを検索したところ、
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