「蛮勇」のレッテルを張ってプロを現場から閉め出すな
2015年03月02日
地球で起こる現象の生情報を足で稼ぐのは、『地球科学者からみたアルジェリア人質事件の教訓』でも書いたように、地球科学者にとって当たり前である。危険を伴うことが多いから、安全確保のノウハウを駆使するが、それでもリスクはゼロでない。
例えば24年前の雲仙普賢岳の火砕流被害では、噴火の最先端撮影の第一人者であるクラフト夫妻が、安全地帯の最前線で、予想外の規模の火砕流に巻き込まれた。死ぬ可能性を完全に承知した上での撮影であり、そんな研究態度のお陰で、複数の火山噴火の映像が残り、それが噴火の知識の蓄積に貢献して、結果的に多くの命を救っている。これこそ「科学者の本望」といえよう。
災害と無関係の、ごく普通の観測点設置ですら何らかのリスクがある。熱帯では病気、極地や高山では凍傷や事故などがあげられる。知り合いのオーロラ研究者は、観測小屋の回りを点検して戻ってみたら北極グマが入口をブロックしていたという危機を体験している。彼が助かったのは偶然に過ぎない。
福島原発事故の放射能調査だって無関係ではない。原発がどうなるか分からない事故直後に、多くの地球科学者が、被曝リスクが分かっていても敢えて汚染地域を調査した。その際の汚染データは今では人類の財産だ。結果的に調査メンバーに直接的な健康被害は出ていないが、リスクを負った事実は変わらない。
一方で、福島事故のとき、放射能拡散のデータが不十分だったために多くの人々が不安になった。情報を隠蔽したい者にとって一番有効な方法は、データそのものを取得しないことだという点を忘れてはいけない。
だからこそ、科学者によっては、情報や知識が命よりも大切だという覚悟を持つし、多少のリスクを承知でデータの取得や実験をする科学者は少なくない。
同じことはジャーナリズムにもあてはまる。世の中には情報取得に命を張るジャーナリストが存在する。最大限の対策をした上でリスクを冒す。それは科学者の立場からすると、自然な風景だ。そういう存在を完全否定するものは、ジャーナリズムだけでなく現場科学を否定するのに等しい。
ところが、こういうプロの仕事を「蛮勇」と切り捨てる風潮が政府主導の世論操作で始まっている。いわずもがな、ジャーナリストやカメラマンの危険国家周辺の取材である。
蛮勇とは
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