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福島事故。調べる側、調べられる側の落胆

畑村洋太郎・元政府事故調委員長、班目春樹・元原子力安全委員長に聞く

竹内敬二 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

  福島第一原発事故から4年を機に、元・政府事故調査委員長の畑村洋太郎氏と、元・原子力安全委員長の班目春樹氏にインタビューした。事故を「調べる側」のトップと「調べられる側」の主要人物だ。事故への認識では共通点が多かった。調査に対する落胆までも似ていた。

東海第二原発が無事だった

 二人は「原発事故の被害は、より大規模になる可能性があった」とみている。茨城県東海村にある東海第二原発では5・4メートルの津波がきたが、直前に堰を6・1メートルに上げており、ギリギリで事なきを得た。畑村氏は「東海2号機がダメになっていたら東京がダメになっていたと思う。今回の事故が最悪ではなく恵まれていた部分もあったことを忘れてはならない」という。

拡大東電・福島第一原発の現状。2015年3月撮影

 班目氏は事故直後、ヘリコプターで太平洋岸の原発上空を飛んだ。「福島第一原発、福島第二原発、東海第二を見ながら連想した。万が一、福島第一がダメ、第二も放棄となると、その後東海にも影響するだろうし、と考えた。楽観から悲観まで大きく振れた」。一番ひどい側に振れたときのイメージが「日本の三分割」だったという。人が住める西日本、北海道、住めない中央部に日本が分かれることだ。ただ同時に、「いくら何でもそうならないのでは」とも思っていた。

「なし崩し公開」を批判

 原発事故に対する公的な調査としては政府事故調と国会事故調(黒川清委員長)がある。政府事故調は原発の過酷事故から4カ月後の2011年5月に設置、翌年7月に最終報告をまとめた。

 特徴は関係者に対する聴取について「責任追及に使わない、内容を公開しない」という方針をとったことだ。「失敗学」を専門にする畑村氏の考えだ。狙いは、言いたいことを言ってもらうこと。畑村氏は「100年間はフタをしたい」と考えていた。

 これは守られなかった。朝日新聞が吉田昌郎・福島第一原発所長(故人)の調書を報道したことがきっかけとなって、さまざまな議論が起こり、現在は「公開を承諾した人の調書は公開」という中途半端な形になっている。約770人の調書のうち224人分が公表されている。東電首脳らは未公開だ。

 畑村氏は、朝日新聞が報道したことについては「ノーコメント」としながら、なし崩し的な公開になったことに対して、きつい言葉で落胆感を示した。「非公開の約束でやったものが、何かの事情でちょっと漏れたら、もう開けてしまおうとなる。こういう判断の仕方をやっている」「次からこういう形の調査手法はとれなくなる」。

拡大畑村洋太郎(はたむら・ようたろう)・元政府事故調委員長

 班目氏もほぼ同様の意見だった。班目氏は自身の調書公開に応じていない。「私の分は公開してもいいのだが、なし崩しにオープンにするには反対。日本で(こういう調査手法などの)文化を根付かせるのに妨げになるから公開しない」

 私(筆者)は原発事故を継続的に取材している記者だが、二人とは少し違う考えをもっている。吉田調書も含め、公開になったことで詳しい情報が分かったと思うからだ。

 朝日新聞は今年3月10日付の紙面でも、あらためて調書を整理し「原発事故調書は語る」として丸2ページの記事を載せた。

 そこには大津波の対策が取られなかった議論の中で、「その件は(原子力)安全委員会と手を握っているから、余計なことをいうな」といった会話が、原子力安全・保安院の中であったことや、第一原発から撤退する、しないで東電と首相官邸が対立したときの関係者のなまなましい声が載っている。当時の様子をリアルに感じ、どの辺に真実があったのかを想像できる。

 追及が甘い

 一方、マイナスの面もある。「非公開」のつもりで話したものが、突然に公開となれば困る人も当然でてくる。

 また公開は、調書の質、つまり「関係者はどの程度の深いことをしゃべっているのか」を浮き彫りにした。班目氏は、公開された調書を読んで、「みなさん明らかに自己保身のために話している」という感想をもったという。「非公開」にしてもなお語らない日本人、あるいは自分を守ったり、自分の属する組織に気をつかったりする姿がみえるということだ。これも日本の断面だろう。

 班目氏は例として、安全行政の失敗をあげた。日本の原発安全行政には「深層防護」といわれる過酷事故対策がなく、海外から遅れていた。班目氏以前の安全委員長の時代のある時期、深層防護が取り入れられることになっていたが、なぜか「消えた」。

 その経緯は過酷事故に至る背景としておおやけにされるべきものだが、調書でも明らかにされていないという。通りいっぺん、あるいはあるシナリオに沿った聞き方で終わっているという。「聞かれる側」からみても「追及が甘い」部分があるということだ。

拡大班目春樹(まだらめ・はるき)・元原子力安全委員会委員長

 その雰囲気はよくわかる。国会事故調では聴取の一部がネット中継された。ショーのような派手な雰囲気の割には質問が甘く、なかなか核心に近づかないことに、見ている私たちもイライラしたことを覚えている。当時、「原子力ムラの関係者を調査からはずせ」という声が強かった。その結果、原発のメカニズムや安全行政の歴史をよくしらない人たちによる調査になった面もある。

 結局のところ、畑村氏がめざした「非公開」の方法は崩れた。そして一般的には言えないにしても、「非公開」を前提にやった質問と答えにも、甘い部分があったとみられる。

 これに関連して畑村氏の言葉で強く印象に残ったのは、1999年に起きたJCO臨界事故の後の話だ。畑村氏はJCO事故後、日本の技術者を調査した米国の専門家と議論したことがある。その専門家は「日本の技術者に自分の意見をいくら聞いてもだれひとりはっきりものを言う人がいなかった」と言ったという。そして「日本は、形の上だけのことをやりながら、本質的なことを見る人がいないから非常に心配だ」とも。この話は日本の原子力技術者の雰囲気をよく表している。個人の意見を主張することは少ない。

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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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