40年前の平泉試案と英語教育論争の本質
2015年03月23日
学習指導要領の全面改定に向けて、文部科学省は昨年11月、小学校3年から英語教育を開始し、5年から教科として必修化する方針を審議するように中央教育審議会に求めた。これを受けてまた英語教育を巡る議論が起きている。歴史をひも解くと、明治以来あまり変わらない次元で論争が行きつ戻りつしていることがわかる。
本稿では、論争の本質を解き明かし、今後の日本がとるべき道を探ってみる。
まずは歴史を簡単に振り返ろう(以下、鳥飼玖美子「英語教育論争から考える」みすず書房刊に依拠)。
明治以来日本は、西欧文化の吸収を最優先にしてきた。外国語教育が「読む」ことに主眼を置いたのもそのためだ。しかし特に英語教育は、厖大な投資の割に「成果が上がっていない」との批判にさらされ、「改革」を繰り返して来た。
「教養英語 vs. 実用英語」という対立軸で捉えられるようになった論争の歴史も長いが、中でも1974年の「平泉試案」とそれを巡る論争は有名で、現代から見ても参考になる点が多い。
平泉渉(敬称略)は元外交官で政治家だった。自らの経験から英語教育改革の試案を打ち出したが、渡部昇一(同、当時上智大学文学部教授)らと大論争となった。以下平泉試案の中身を要約するとともに、40年後の現状と比較してみよう。
(1)英語を義務教育から外す。その理由は、日本語とは極端に構造の違う言語で、習得に厖大な時間がかかるからだ。→これには現代の言語学や外国語教育実践の立場からも、裏付けがある。
(2)中学では「世界の言語と文化」という教科で幅広く常識を身につける。それと同時に、外国語のひとつの常識として中学1年修了程度までの英語を身につける。
(3)高校は、外国語教育を行う課程と行わない課程に分離する。
(4)高校の外国語教育は志望者のみとし、毎日少なくとも2時間以上の訓練と、毎年少なくとも1ヶ月にわたる完全集中訓練を行う。
(5)大学入試に英語を課さない。その理由は、学習には自発的な動機付けが大事だからだ。
(6)全国規模の能力検定制度を導入する(「技能士」資格)。→この提案は、現在ではTOEIC,TOEFLなど多様な形で実現していると言える。
平泉はこのような施策を通して「全国民の5%程度が英語の実際的能力を持つことが望ましい」としたが、現場教師らから「差別的」と批判された。特に義務教育と大学入試からの英語排除(1と5)が、現場教師らから猛反発を食った(批判も、主にそのような観点からのものだった)。しかし「結果において、平泉さんの先見の明は凄かった」(文部官僚の言、前掲書に依る)という評価もある。
平泉は
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