教育の役割は「学生のとり得る人生の選択肢を最大化させること」にある
2015年04月07日
大学の英語化の議論に参加していただきたいという依頼を受け、本欄の佐藤匠徳氏と須藤靖氏の議論を拝見して少し考えてみた。考えた上での私のこの問題に対する結論は、「各大学の戦略に任せるべき」という、なんとも当たり前の結論である。あまり面白い結論でないのは、わかっているが、それ以外の結論は思いつかない。
私は、学部時代を国際基督教大学(ICU)という多言語環境で過ごした。まず、私の経験をお話ししたい。ICUは、日本語と英語を公用語とする大学であるが、授業は、日本語、英語、フランス語など幾つかの言語で行われている。これらは、外国語の授業ではなく、いろいろな教科が、複数の言語で教えられている。
例えば、授業の概要の説明に「国際会計BUS204 J」とあれば日本語で行われる授業であり、「国際マーケティング BUS205 E」「資本市場入門 BUS206 E」とあれば、英語で行われる授業である。いろいろな連絡事項は、日本語と英語の併記で行われる。私がいた時は、併記するスペースがない時には英語で表記するとなっていたと記憶している。
4月入学の学生は、多くの場合、日本の教育システムを経て入学するので、最初の一年間は、Freshman English Program(FEP)という英語力を高める授業を受けた。今は、これをTOEFLのスコア別に4グループに分けて、各々のレベルに合わせたEnglish for Liberal Arts Program (ELA)となっている。
逆に日本語で行われる授業もあるので、9月入学で日本語が苦手な学生は、日本語プログラム(JLP)を履修し、それらの教科を履修できる日本語習得を目指すことになる。
ICUのこのプログラムは、その後、英語で行われる授業をとるのに必要な英語力を鍛えると同時に、Composition/Writingという科目もあり、そこでは、論理的な議論の展開方法が徹底的に教育される。日本の教育では、論理的な議論の展開の授業などがまったく行われない。また、この授業では、Plagiarism(剽窃)について徹底的に指導されたことを覚えている。ICUの教育は、単に英語を使えるようになるということだけではなく、英語文化圏でのコミュニケーション能力や学習能力を総合的に取得させることを目指していることがわかる。このプログラムを経てから、各々の関心のある授業を、いろいろな言語で勉強することになる。
私自身は、哲学、古典力学、量子力学、核物理などの授業を英語で履修している。
日本で英語での授業を大幅に取り入れる場合には、
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