科学史、日本の戦争責任、そして現在の私たちの行為
2015年04月06日
スティーブン・ワインバーグは、素粒子論における業績に対し1979年にノーベル賞を受賞した著名な物理学者で、『宇宙創成はじめの3分間』(ちくま学芸文庫)をはじめとする一般向けの解説書でもよく知られている。学問上の業績と深い教養によって、米国では最も尊敬されている科学者のひとりである。その彼が、テキサス大学で行ってきた「科学史」の講義に基づいた大著“To Explain the World” (邦題は『世界を説明すること』だろうか)が、この2月にハーパー・コリンズ社から出版されたので、早速読んでみた。
ワインバーグは、現在の科学者の立場から、過去の偉大な哲学者や科学者を情け容赦なく断罪している。しかし、このように「現在の基準で過去を裁く」ことは、歴史学の世界では禁じ手のようで、本書は刊行と同時に、一部の歴史学者から激しい批判を浴びた。今回の論考では、「現在の基準で過去を裁く」ことの是非を中心に、ワインバーグの科学史観から、日本の戦争責任問題、また、未来から見た私たちの現在の行為までを考えてみよう。
この新著は、個々の「科学的事実」の発見ではなく、「科学的方法」の発見に重点を置いていることが特徴だ。ワインバーグによると、ターレスからアリストテレスにいたる古代ギリシアの科学哲学者は、「美的効果によって表現を選んだ詩人」であり、観察や実験によって自らの理論を正当化すべきだとは考えなかった。一方、16世紀英国のフランシス・ベーコンは、「極端な経験主義者」であり、「その著作によって、科学者の営みによい影響があったとは思えない」。また、近代合理主義の父とされる17世紀フランスのルネ・デカルトは、「信頼できる知識を得るための真実の方法を見つけたと主張するものにしては、自然の数多くの側面について、驚くほど間違った理解をしていた」。
科学史の研究者でハーバード大学教授のスティーブン・シャピンは、ウォールストリート・ジャーナル紙に、「なぜ科学者は歴史を書くべきではないか」という挑発的な題名でこの本の書評を書き、歴史とは過去をそのものとして理解しようとする学問であって、現在の基準で過去の行為を裁いてはいけないと批判した。
これに対し
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