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26年も現役稼働した磁気圏探査衛星「あけぼの」

日本の宇宙科学黎明期の人工衛星が偉業を達成できたわけ

山内正敏 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

 1989年に打ち上げられた磁気圏探査衛星「あけぼの」が26年の長きにわたる運用を終えた。これは宇宙科学研究所(宇宙研)が宇宙航空研究開発機構(JAXA)に統合される遥か前に打ち上げられたもので、この「長寿」は特筆に値する。何しろ当初の目標は1年間の観測だったのだ。

あけぼの衛星(想像図、JAXA提供)

 息の長いプロジェクトと言えば、1977年打ち上げのボイジャー1・2号や1972年・1973年打ち上げのパイオニア10・11号のように太陽系脱出を目指す探査機が第一に名前にあがる。パイオニア10号は打ち上げ30年後の2003年を最後に信号が途絶え、11号の方は打ち上げ21年後の1995年に運用が停止されたが、ボイジャー1・2号はまだ現役として宇宙の旅を続けている。

 これら別格を除くと、一番長い期間データを取り続けたのは、太陽風のモニターを主な任務としたIMP-8で、1973年10月から28年間正式運用した後、更に2006年まで5年間、部分的にデータを取得していた。計33年である。

 これは地球から非常に遠い場所を飛んだ衛星だったが、より低い高度の、いわゆる地球周回衛星となると、ランドサット5号の29年弱(1984年3月から2012年12月まで)が世界記録となる。「たった」29年なのは、高度が低いほど打ち上げが簡単で、より高性能な後継機にとって代わられやすいからだ。その意味で、低高度衛星として世界記録と3年ほどしか差がない「あけぼの」は、宇宙開発に遅れて入ってきた日本が達成した「世界レベルの偉業」の一つと言える。

科学的価値が世界水準に追いついた

1989年2月22日の内之浦からの打ち上げの様子(JAXA提供)。ロケットはミュー3S II型4号機で、1年前に運用をやめたM-Vの1世代前のロケット。
 米国航空宇宙局(NASA)が月着陸に成功した後に1970年にやっと人工衛星初打ち上げにこぎ着けた日本が、科学衛星という意味で世界の第一線に追いついたのが1980年代半ばだ。たとえば1986年のハレー彗星探査機の「すいせい」は多くの成果を残した。

 そういう科学衛星群のうち、地球に一番近い宇宙空間である磁気圏を調べる衛星として、世界の第一線に初めて躍り出たのが「あけぼの」だ。その観測結果の科学的価値が高かったというのが、長寿の第一の理由だろう。

 磁気圏科学の分野で日本初の世界第一線科学衛星ということから、データ解析に従事する研究者も十分な数が確保できた。その結果、今までの衛星と比べ物にならないほど多数の研究論文が一流国際誌に載るようになったのである。

ライバルとなる後継機が現れなかった

 第2の理由として、類似の軌道の磁気圏探査衛星を世界のどの国もこの後に打ち上げていないことが挙げられる。一番近いのが1986年打ち上げのスウェーデンのビーキング(NASAの火星着陸機バイキングとおなじスペルVikingだが、北欧風の読み方だとビーキングになる)と1996年打ち上げのNASAのファースト(FAST)衛星だが、前者は1年足らずで機能しなくなり、後者は搭載機器が少なく、衛星高度も「あけぼの」よりかなり低かったので、後継機とは言いがたい。現在に至るまで「あけぼの」の地位を脅かす科学衛星が上げられていないのだ。

 科学技術が発達して、打ち上げも昔よりは簡単になっているはずなのに、なぜ後継機が出ないのか

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