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温暖化対策、目標があってこそ現実化できる

佳境を迎える地球温暖化政策の国際交渉に思う。

小林光 慶応義塾大学特任教授(環境経済政策)

 政府は、2020年以降の温室効果ガス削減目標の原案を公表した。政府外の意見も聞き、総理の判断も得た上で、年末、パリでの外交交渉に臨む流れになる。そうしたわけで、日本の温暖化対策の目標が確定したわけではなく、国際社会という相手がある以上、むしろ、今後の対外調整の中で紆余曲折があるのが当然と言うべきであろう。目標数値の積み増しも必要になろう。

 そうしたことが予想される今後の調整局面において交渉を実らせるためには、当事者やそのバックにいる我々サポーターも唯我独尊ではなく頭が柔らかくなることが必要である。この点に少しでも役立つよう、ここでは、環境上の目標というものに期待される役割について改めて考えてみたい。

今はないものを生む。――計画、そして目標の役割

 論者は、今は大学の教員をしていて、多くの学生を見てきた。学業も、クラブ活動も、合宿も、なるほどという成果を挙げる学生が時々いる。

 そうした学生には共通した側面があるように感じる。それは、煎じ詰めると「段取りが良い」ということである。ここでこうして、こうなったら、次はこうして、こうやっていこう、というシークエンスが見えているのである。ステークホルダーの動きや環境条件の変化に関する幅広い観察力や想像力、獲得目標のイメージを鮮明に理解する描写力、そして自分の取るべき行動の組み立て力、構想力がないと、段取りは良いものにならない。

拡大『環境基本計画』のメッセージ

 考えてみると、この段取りの仕方自体は教育の対象にはなっていないように思える。日本では、例えばディベートは、技術であって、雄弁会が扱うべきものであり、普通の教育には取り入れられずに来たところ、最近、インタラクティブな教室づくり、という観点でわだかまりなく試みられることになったようで、御同慶の至りである。しかし、段取りについては異なる。段取りは、工学部であれば『いかにして問題を解くか』という有名な書物はあるものの、社会科学系の一般素養には明示的には取り上げられていないように感じる。ところで、段取りとは、社会科学風に言えば計画のことに他ならない。

 論者が、京都議定書を採択したCOP3の担当課長をする前に座っていたポストは、環境省の初代の環境計画課長であった。初代の言われは、1993年に環境基本法が制定され、そこに初めて閣議決定の重みを持つ環境基本計画を定める規定が置かれたのを受け、この課が創設され、そして一回目となる国レベルの環境計画を作ることになったためである。

 論者は、計画に関する基本法の条文づくりの折衝から計画自体の各界との調整を一貫して担当することになったが、その時に悩んだのは、計画の意義・役割をどう納得してもらうかである。それが空疎なら、意味はないし、関係者の賛同を得られようもない。自問自答してきた。

 結果的には、政府内外の多くのステークホルダーの方々に歓迎され、環境基本計画は決定され、そして今日まで四度の改訂を経て、実行され続けている。意義や役割が、幸い、理解されたのであろう。

 この最初の環境基本計画が作られた時、当然ではあるが、中央環境審議会は、計画を絵に描いた餅にするのではなく、きちんと普及しなさい、そして環境教育の中でも取り上げなさい、と注文を付けた。そこで、論者は、大人向けの長短様々の資材だけでなく、特に生徒や学生に向けて、日頃自分なりに考えてきたところに沿って、計画とは何だろう、ということを伝えるリーフレットをも作ることとした。
それは、「子供たちに伝えたい『環境基本計画』の15のメッセージ」というものである(1頁目については写真参照)。長くなって恐縮だが、メッセージの見出しだけ下に列挙させていただくことにしよう。

・全体はつながっている
・個と全体には争いがある
・行動がなければ解決しない
・みんなが主役
・将来のことを考え、今から取り組む
・息永く取り組む
・力を合わせる
・目標を持つことが大事
・解決策はすぐには出てこない
・いろいろな手段がある
・何かをあきらめないと得られないものがある
・事実の重み、説得力
・わからないことがあっても行動に迫られる場合がある
・価値観や文明も変わるもの
・決めたことでも検証と改善が必要

 子供たち向けなので言葉は平易とはいえ、中身は難し過ぎたかな、と今になってみれば大いに反省するが、それまでの、ややもすれば環境を壊すことで発展してきた経済社会を、環境を守って発展できる持続可能なものへと、その仕組みや構造などを根っこから変えよう、という意気込みが溢れたリーフレットであった、と今見ても思う。

人間社会の中での利害調整には人類は習熟してきたが、物言わず人類を支えてきてくれた自然との間の関係では、人類は自然に甘えるばかりで、冷静に相互が納得する取引を行う仕組みをほとんど持っていなかった。

 その意味で環境対策は新参者である。まったく新たな仕組みを作る、という、人類史を画する仕事が登場した場合は、既得権者にではなく、こうしたやっかいな仕事は、新参者にこそあてがわれるのが常である。そして、人類史を画す、といった新規な仕事に取り組む場合、実は、そこには即効薬はなく、いろいろな技を組み合わせて、人類社会をその根っこから時間を掛けて変えていくしかないのである。

 計画や目標は、多数の手段を動員する、このような大それた試みを遂行するには必須である。それだけでなく、日ごろのニーズに応える手段、すなわち多様な取組みを整合性がある形で組み合わせて長期的に展開するためのポピュラーな仕掛け、それこそ段取りとしてもやはり有用である。しかし、論者としては、部分最適を目指す計画と、その部分最適の境界条件をも変えてしまうという高次の計画とは役割が異なり、地球温暖化対策のための計画や目標のようなケースでは、日頃の部分最適型の計画とは違う観察力、想像力、描写力、理解力そして構想力が発揮されないといけないように思う。

 我が羽根木エコハウスでの経験から世の中に対して期待したいこと

 京都会議(COP3)の際の環境省の担当課長として、その時に論者は、個人的にいくつか感じたことがあった。その一つは、家庭部門での対策が必須となるであろう一方、その実行にはいろいろと段取りが要りそうだ、ということであった。

拡大二酸化炭素排出量の変化。単位:炭素kg

 仮に2050年といったタイムスパン(正直に言えば、京都会議の時には、50%削減は2100年といったタイムスパンで行われることではないかというのが筆者の理解であった。)において温室効果ガスの総排出量の50%、あるいは80%といった大幅な削減が必要だとすると、排出シェアとしては2割弱の家庭であっても、そこにおける排出削減は必ず避けて通れなくなろう。家庭の豊かな生活は経済の大目的であって、何も悪いことではない。他方で、その大目的実現のための手段に過ぎない、例えば、工場での生産活動などでは、もっと厳しい排出削減が必要であろう。がしかし、工場でまず対策を始めるにしたところで、やはり、家庭からの排出削減は避けられなくなろう。 ・・・ログインして読む
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筆者

小林光

小林光(こばやし・ひかる) 慶応義塾大学特任教授(環境経済政策)

慶応義塾大学特任教授(環境経済政策)。工学博士。1949年生まれ、慶応義塾大学経済学部卒業。環境庁(省)では、環境と経済、地球温暖化などの課題を幅広く担当。1997年の京都会議(COP3)の日本誘致のほか、温暖化の国際交渉、環境税の創設などを進めた。環境事務次官(2009~11年)時代には水俣病患者団体との和解に力を注ぐ。自然エネルギーをふんだんに利用したエコハウスを自宅にしていることで有名。趣味は蝶の観察。

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