発言よりも行動が重視される男女平等先進国
2015年06月20日
英国ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のティム・ハント博士が国際的な場で女性研究者を侮辱した事件は瞬く間に世界に広がった。ハント博士がノーベル賞受賞者という発言力の高い人だっただけに反響も大きく、大学は名誉教授職を取り上げるという政治的判断を迅速に下している。一連の動きは、まるで閣僚が失言(という名の本音)をついつい漏らして辞任させられる政治の世界に似ている。
私の住んでいるスウェーデンは、男女平等をいち早く推進し、今もそのリーダーを自認して各種施策を続けている。しかもノーベル賞を出している国でもある。当然ながら、この種の問題には大きく反応するだろう……と思いきや、反応は薄い。事件直後こそ、定番の意見や記事がマスコミを賑わしたが、それだけだ。勤め先の研究所でも全然話題にならない。
これを意外に思われる方も多いだろう。しかし、そういう風景が実は不思議に思えないのである。なぜなのか?
社会学者でない私に厳密な議論はできないが、本稿では思い当たる節を書いてみる。
第一に、スウェーデンでは発言よりも行動が重視される面がある。どんなに口で良いことを言っても、行動で示さなければ意味がない。「女性差別をなくそう」という標語はどの国でも言うだけなら言える。誰にでも言える。しかし、それを実現するための施策を実際に取っているかどうかとなると話は別だ。
たとえば女性の男性職場への進出だが、スウェーデンでは一定従業員以上(たしか10~30人程度だった)のどの職場も男女比が6:4より外れてはならないとされている。男女のどちらも多すぎてはいけないのだ。そして、どの職場にも男女平等委員会が設置され、組合の男女平等問題担当委員と経営者とで数ヶ月に一度の会議を開く。しかも16ヶ月の育児休暇のうち2ヶ月は父親専用または母親専用に割り当てられているし、専業主婦のための扶養控除は数十年前に撤廃されている。
国会議員も、極右政党を除く全ての政党で、比例代表(こちらは完全比例代表である)の名簿が男女交互に連ねてあって、当選者の男女比が1:1になることが投票結果を見るまでもなく確定している。つまり、制度上で女性が働かざるを得ないようにして、かつ女性に働いてもらわなければならないようにしているのである。
アカデミックの世界に限っても、例えば博士号を持った人が大学院生の指導教官になるためには「ドセント」という資格を取らなければならないが、そのための80時間講習の2割は男女平等の問題の議論に当てられるし、科学研究費の予算の配分は、申請者の男女比と受領者の男女比が同じになるように調整されている(ちなみに、これを逆差別と批判する人もいるようだが、そういう人たちがマトモな対案をだしたというのは聞いたことがない)。
こういう文化に住んでいると、米国ですら、大統領「夫人」という奇妙な「職業」がある後進国に見えてしまうのである。社会的地位の高い者ほど専業主婦を抱え、そういう地位にある者が男女平等の推進を国際の場で訴える。それが男女平等意識の高いはずの米国の実態であり、うがった見方をするならば、口先だけと思えてしまうのだ。日本に至っては話にならないレベルである。
つまり、
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