メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

クマ騒動で考える「国とは何か」

クマに県境はない――越境放獣の謝罪に幕藩体制の残渣をみる

尾関章 科学ジャーナリスト

 三重県と滋賀県にまたがる「クマ騒動」が6月下旬に急展開した。5月下旬に滋賀県内で女性にけがを負わせたクマは、三重県が県境を越えて山中に放ったツキノワグマでないとするDNA型鑑定が出たのである。

三重県で捕獲され、滋賀県内に放されたクマ(三重県提供)拡大三重県で捕獲され、滋賀県内に放されたクマ(三重県提供)
 両県の間では、三重県が放ったクマの容疑が濃いということで、知事までが出てきて謝罪するほどの大ごとになっていた。その前提がひっくり返ったのだ。ここでもう一度、この問題は見つめ直したほうがよい。

 まずは、クマ放獣の是非論。くだんのクマが濡れ衣を着せられていたとわかったのだから、この件をもってクマ放獣は危ないとは言い切れなくなった。だが、日本の山地は北米などと比べて人里に近いので、慎重論は根強くある。これを機に、専門家だけでなく幅広い分野の人々を交えて、その是非を議論する場をふやしていくべきだろう。ただ今回は、この論点に立ち入らない。

 ここで問題提起したいことは、別のところにある。あえて言えば、一連の騒動で浮かびあがった幕藩体制的な風景である。それは、三重県の一連の謝罪を報じた朝日新聞の報道(一部、地域版も含む)をたどることで見えてくる。

 朝日新聞デジタルによると、女性が被害に遭った5月27日、地元の滋賀県多賀町に三重県から謝罪の一報があり、町長は「他県に放すこと自体が信じられず、なぜ滋賀県内に放したのか説明してほしい」と迫ったようだ。翌28日には三重県の農林水産部長らが滋賀県庁を訪れ、「他県での放獣は常識的にはあり得ない。情報を提供しなかったことも併せ、申し訳ありませんでした」と詫びた。29日には三重県の鈴木英敬知事も定例会見で自県の「ありえない対応」について陳謝した。「勝手に県外に放獣し、関係市町に連絡せず、地域住民に周知をしなかった」ことを「ありえない対応」と認めたのである。

滋賀県に伝えずにクマを放したことを謝罪する三重県農林水産部の職員(左)=滋賀県庁で拡大滋賀県に伝えずにクマを放したことを謝罪する三重県農林水産部の職員(左)=滋賀県庁で

 このやりとりをみると、両県の関係が緊張した最大の理由は、一つの県がもう一つの県の域内にクマを放ったことにあるらしい。三重県は、放獣の連絡を怠ったことも謝っているが、「申し訳ない」の力点はどちらかと言えば放獣そのものに置かれている。

 放獣にあたってもっとも意を払うべきは、今回のような人的被害を引き起こさないことだろう。だから、クマを放ったという連絡は、放獣地点の自治体はもちろん、周辺自治体にも速やかになされるべきだった。だが、県外放獣がそんなに悪いことかどうかは簡単に答えが出ないように私は思う。 ・・・ログインして読む
(残り:約1322文字/本文:約2326文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1冊のブログ「本読みby chance」を開設中。

尾関章の記事

もっと見る