「わかりやすいたとえ話」の非現実を独り歩きさせてよいか
2015年07月24日
安全保障関連法案が衆議院の特別委員会で可決された日の朝、朝日新聞の社会面には「ウォッチ安保国会」と題して、科学者や科学史家の主張が大きく載った。「安保関連法案に反対する学者の会」の賛同人が1万人に達しそうな状況を受けて企画された記事だった。
物理学者の益川敏英さんは「自分の研究が戦争に利用されないためには、戦争自体をなくすしかない」と述べている。天文学者の海部宣男さんは「事実と論理を踏まえた上で次に進んでいくのは、憲法学であれ、自然科学であれ、学問の基本。それを軽視すれば道を誤る」と断じている。
いずれも、20世紀に科学者がくぐり抜けてきた苦い歴史を踏まえての貴重な発言である。私は、その言葉に敬意を表したうえで、科学界の論客に「もう一声がぜひほしい」とあえて注文したい。それは、安保法制の「説明」で独り歩きしている「わかりやすいたとえ話」に対する批判である。ばかばかしいようにも思えるが、放置していれば世論が「事実と論理」からますます離れていく気がするからだ。
どうしてそんなふうに考えるかと言えば、「わかりやすいたとえ話」の罠は科学者が熟知しているからだ。私がそうだったように科学分野を取材する記者たちは、編集者から科学の発見をわかりやすく書くよう求められる。背景に、必ずしも理系に通じていない読者の存在があってのことだ。そのときに頼るのが、たとえ話である。ぴたっとくるときもあるが、ときにはピントがずれる。それどころか、科学者から不正確のそしりを受けることもある。その厳しい目を、安保法制のたとえ話にも向けてもらいたい、と思うのだ。
それは、「『アベシンゾウは生意気なやつだから今度殴ってやる』という不良の人たちがいる」という想定で始まる。困っていると、「友だちのアソウさん」が現われて「俺はけんかが強いから、一緒に帰って守ってやるよ」と申し出てくれる。二人で歩いていると、不良の3人組がいきなりアソウさんに殴りかかる。「3対1ですから、私はアソウさんと一緒に、この人たちに対応する。私もアソウさんをまず守る」。安倍さんは、こう言ってから話を安保法制に戻す。「これはまさに今度の平和安全法制において、私たちができることで、昨年の憲法の解釈を見直すときに、限定的にできますねと認めたことなんです」
国際紛争を子どものけんかになぞらえた小話だ。聞いた人は、アベくんは日本、アソウさんは米国をイメージしているのだろうなと感じとって、なんとなく納得する。登場人物のことだけを考えると、なるほどよくできたたとえなのである。
だが、すぐにも気づくのは、この小話では登場人物の周辺事情がすっぽり抜け落ちていることだ。アベくんにもアソウさんにも家族がいる。親は、口げんかくらいなら口出ししないだろうが、そのいさかいが一線を超えれば子どもを守ろうと行動を起こすに違いない。ときには、おじいさんが出てくることだってあるだろう。それだけではない。いじめに敏感な時代なので、学校の先生も目を配っているはずだ。近所の人もそれとなく子どもたちの様子を見てくれているのではないか。そして最後の一線は交番だ。子どもとはいえ無謀な行為があれば、警察官が乗り出すだろう。
こうした社会環境があるから、アベくんはアソウさんの義侠心に応えて、自らも体を張ろうと思えるのだ。子どものけんかは、それが陰湿ないじめの域に入り込まない限り、最後はどこかで社会の安全弁が働くに違いないと思っていられるのである。
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