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コンピューターゲームの革新者、岩田聡氏を偲ぶ

世界中の人々を魅了した「使う人の立場にたったゲーム機」

山下哲也 エバンジェリスト、山下計画(株) 代表取締役CEO

 以前インターネット上で、クリスマスにWiiをプレゼントされ、驚喜する子供たちの動画を見たことがある。それも一人ではない。世界中で何人もの、Wiiを手にして歓びを爆発させる子供たちの姿を、多分あなたも見たことがあるのではないだろうか。

新製品のニンテンドーDSiを手に笑顔を見せる任天堂の岩田聡社長=2008年10月2日,池田良撮影

 そのWiiの生みの親である任天堂の岩田聡氏の突然の訃報が世界中を駆け巡った。享年55歳。誰もがその早過ぎる死を悼んでいる。ある一企業のトップの死が、こんなにも多くの人に惜しまれることは滅多にない。このことは、岩田氏の人柄と彼が生み出した素晴らしいイノベーションが、どれだけ世界に夢と歓びを与えていたのかの証ともいえる。彼が生み出したゲーム機の一ファンとして、氏の足跡と偉業を偲びたい。

 コンピューターとコンピューターゲーム。面白いことに両者ともほぼ同じぐらいの歴史がある。コンピューターの計算能力をゲームに使おうとする研究は、開発の草創期から続いている。シリコンバレーのGoogle本社近くにあるコンピュータ―歴史博物館に行くと、軍用として設計された最初期の「電子計算機」のレベルの時代でも、同時にデモンストレーション用(と、恐らくエンジニアの楽しみ?) として、かなり初歩的なゲームが開発されていたことが分かる。一方、コンピューターゲームが普及した大きな契機は、テレビにゲーム画面を映して遊ぶ、通称「テレビゲーム」と呼ばれるゲーム専用機の登場だった。生まれて初めて触ったコンピューターは、自宅で遊んだゲーム機という人も少なくないはずだ。

 任天堂が1983年に発売した家庭用ゲーム機「ファミリー・コンピューター」、通称“ファミコン”は一大ブームが巻き起こす。その後様々なゲーム機が登場し、コンピューターゲームは巨大産業へと成長した。より面白く刺激的なゲームを求めて、開発者たちはゲーム機の性能やグラフィックスの精細さを競い合う高度な競争を始め、やがてコンピューターゲームは「オタク」が楽しむ、少し近寄り難い雰囲気を醸し出すようになる。

 この市場に一石を投じたのが、42歳の若さで任天堂の社長に抜擢された天才プログラマーの岩田氏であった。ただ

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