バッドテイストでない訃報が求められる時代が来た
2015年07月30日
知の巨星、墜つ。そんなニュースが今月、相次いだ。物理学者の南部陽一郎さんと哲学者の鶴見俊輔さんの死去である。二人の訃報報道は、この時代、ジャーナリズムが著名人の死とどのように向きあうべきかを考えさせてくれる。
ひと昔前なら、科学記者はどうして2週間近く気づかなかったのだ、と叱られる事態だろう。私のようなOBも、現役時代に培った人脈で察知して後輩に伝えられなかったことを恥じるべきところだ。だが、そういう自責の念を超えて、この報道に妙に納得してしまう自分がいる。それは、「葬儀は近親者で」という選択をする人々がふえ、人の死が昔よりも私的な事柄とみられるようになったからだ。とりわけ今回は、近親者のみの静かな服喪が南部さん自身の遺志か、遺志をくんだご家族の希望によるものだったのだろうと推察されるので、記者魂はなおさら萎える。
南部さんというと、私には忘れられない思い出がある。1985年8月、京都のホテルで朝日新聞が企画する座談会に出ていただいた夜のことだ。あの夏には、日本初のノーベル賞物理学者湯川秀樹の中間子論50周年を記念する国際会議が開かれたので、湯川理論の意義を日米の物理学者に紙面で語り合ってもらおうというねらいだった。出席者は4人。日本語を話せない米国人もいたので、英語でのやりとりとなった。
私の記憶に焼きついているのは、本題の前後に交わされた雑談だ。その数日前、日本では未曽有の航空機事故が起こっていた。日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落である。話題は当然、この惨事のことになり、報道の過熱ぶりがやり玉にあがった。乗客やその家族のプライバシーが脅かされているのではないか。そんな批判が相次いだ。「bad taste(悪い趣味)」という言葉を最初に口にしたのがだれだったかは思い出せない。ただ、南部さんを含む一同が、そのひとことに深く同意したことだけははっきり覚えている。
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