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続・ロボットは意識を持ち得るか?

「人間だけが意識を持てる」という確信に科学的根拠はない

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 「ロボットは意識を持ち得るか?」を問う時に、二人称/三人称の問題、「つまり他者の意識をいかに推定するか」に問題を限定せざるを得ない理由を、前稿では述べた。また科学者ならどのようにその推定を試みるかを述べ、意識の神経メカニズムについても最新知見を簡単にまとめた。だが、脳の中身だけをいくら見ても駄目で、身体を通した環境世界とのつながり、やりとりこそが本質的との見方もある、という辺りまで書いた。

周辺(状況)と中核の「逆転」

 この最後の点を、「意識は状況依存的である」という観点から、もう少し説明しておきたい。

 次のような事例を考えてみよう。犬などのペットを溺愛(できあい)している飼い主が、「うちのクロに限っては絶対、意識がある」などと主張する。たとえば痛がっている時は「本当に痛みを感じているんだ」と強く共感する。ところが周囲から見ればただの駄犬、(他の犬に人間並みの意識がないとすればそれと同じく)「意識なんか持っていない」。こういう状況は結構、現実にある。

 これをどう捉えるべきだろう。飼い主がペットを溺愛するあまり「錯覚しているだけ」という立場を、筆者は採らない。もしそう主張したいなら、家族や親友が意識を持つことも同じく「錯覚しているだけ」とするしかない。

 そうではなくてこういう社会関係への依存性こそが、「意識を持つ」という言語的フレームで私たちが捉えようとしている事態の、本質なのではないか。つまりこれは意識を巡る周辺的な事情などではではなく、まさに「意識」の中核なのではないか。だとすれば、冒頭で提起した謎(一人称と二/三人称では全然事態が違うのに、なぜ私たちは同じ「意識を持つ」という表現で括って、それで何ら不都合が生じないのか)についても、氷解の糸口が見えてくる。

 同じことがペットロボットやビジネスロボットに起きても不思議はない。どころかすでに起きつつある。ペットロボットが故障して、「可哀想、捨てるなんてできない」という状況が、すでに愛用者の間では起きている。

 本稿をここまで読んで、何となく失望した読者が多いのでは、と筆者は想像する。あるいはもっと強く「反発を覚えた」という人もいるかも知れない。その中身には

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筆者

下條信輔

下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。

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