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人文・社会科学と大学のゆくえ

すぐ役に立つことはすぐ役に立たなくなるー大学教員も率直な反省を

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 文部科学大臣は2015年6月8日の通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」 において、「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18 歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と記した。

 今回の通知は、ある特定の学問分野だけの問題だと矮小化して捉えるべきではない。国旗掲揚・国歌斉唱問題に象徴されるように、国立大学に対して長期的な視野を欠いているとしか思えない拙速な方針転換を次々に迫っている文部科学省のあり方そのものに強い懸念を持つ。

会場が満杯になった日本学術会議の公開シンポジウム=2015年7月31日、日本学術会議講堂

 日本学術会議幹事会は7月23日に「これからの大学のあり方—特に教員養成・人文社会科学系のあり方—に関する議論に寄せて」という声明を発表した。また日本学術会議第一部は7月31日、日本学術会議講堂において、公開シンポジウム「人文・社会科学と大学のゆくえ」を開催した。参加者は300人を超え、講堂は立ち見がでたほどの盛況であった。私も話題提供者の一人として参加したので、まず私が話した内容を簡単に紹介してみたい。

 伊集院静氏は、週刊文春に連載している人生相談で「最近、家のリフォームをした際に、オール電化を勧められました。かつて、直立歩行、道具の使用、火の使用が人と他の動物との違いだと習ったのですが、これでは子供達は「火」を見ることなく大人になるのだと気づき、怖くなり断りました。」との主婦の投書に対して、「あなたの意見はまったくもって正しい。私は震災に仙台の家で遭遇したのだが、何が一番困ったかというと、その夜の暖がとれなかったことだ。便利なものは、必ず弱点がある。すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる。これは昔からの常識だから」と答えている(伊集院静『となりの芝生』、文藝春秋社)。

 私はこの回答に痛く感心させられたのだが、伊集院氏によれば、これは小泉信三氏の「直ぐ役に立つ本は直ぐ役に立たなくなる本である」との言葉を引用したものだという。そこで調べてみたところ『読書論』(岩波新書)に、

直ぐ役に立つ本は直ぐ役に立たなくなる本であるといへる。人を眼界廣き思想の山頂に登らしめ、精神を飛翔せしめ、人に思索と省察とを促して、人類の運命に影響を與へて來た古典といふものは、右にいふ卑近の意味では、寧ろ役に立たない本であらう。併しこの、直ぐには役に立たない本によつて、今日まで人間の精神は養はれ、人類の文化は進められて來たのである。

との記述があった。まさに、これこそ人文社会科学の意義そのものだ。しかも、興味深いことに小泉氏はこの言葉は

先年私が慶応義塾長在任中、今日の同大学工学部が初めて藤原工業大学として創立せられ、私は一時その学長を兼任したことがある。
時の学部長は工学博士谷村豊太郎氏であったが、識見ある同氏は、よく世間の実業家方面から申し出される、すぐ役に立つ人間を造ってもらいたいという註文に対し、すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ、と応酬して、同大学において基本的理論をしっかり教え込む方針を確立した。

に触発されたものだ、と記しているのである。

 藤原工業大学が設立されたのは昭和14年であるが、大学に対する世間の要求は今も昔もあまり変わらないようだ。むしろ今との違いは、大学に責任をもつ人々が、世間におもねることなく堂々と見識を示して、大学教育の理念を貫き通した点にある。文部科学省に運営費交付金配分を握られている現在の国立大学は、そのような正論で対抗するのは困難だという意見もあろう。しかしその当時の社会情勢が現在よりも自由な雰囲気であったとも思えない。もしも、大学に対する社会の信頼と尊敬の念の高さの違いを反映しているだとすれば、それを低下させてきた大学人が等しく責任を負うべきであろう。

 産業界が大学教育において実践力・即戦力を求めるのはある意味ではもっともである。それに対して、「すぐ役に立つことはすぐ役に立たなくなる」といった抽象論だけをふりかざしても説得力に欠けることは事実だ。むしろ、

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