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大学の人文社会科学系のあり方への体験的注文

あまりに生ぬるい日本学術会議の姿勢

中村多美子 弁護士(家族法、「科学と法」)

 文科省「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」(平成27年6月7日)に対し、日本学術会議は7月23日、「これからの大学のあり方―特に教員養成・人文社会科学系のあり方―に関する議論に寄せて」を発表し、文科省の政策を批判した。私は、この日本学術会議の反論に、心からイライラしている。国立大学文系学部の廃止ないし規模縮小という方針に賛成できないという点については日本学術会議声明に賛成だが、それを反論する学術会議の姿勢が生ぬるいことこの上ないからだ。

 本稿は、文科省が見直そうとしている国立大学人文社会科学系の教育を受けたことのある一介の法律実務家の個人的な経験とつぶやきである。

 私の大学生活は農学部でスタートした。出席をとるわけでもないのに立ち見になるような講義もあって、テキスト片手に階段教室の窓から講義を聞いたのも、一度や二度じゃない。自分の適性に疑問をもって、法学部に転部したが、講義に対する情熱をすっかり失ったのは、興味関心の問題だけだろうか。十年一日のごとく、方向性も見えなければ起伏もない講義を法学部の大教室で聞き続ける日々に、私のもともと乏しい忍耐力はあっというまに尽きてしまった。かくして、法律なんて社会の取扱説明書にすぎないとうそぶき、もはや「学問」とは縁がなくなってしまったと寂しく感じながら、司法試験のための雑魚本(ざこぼん。司法試験予備校のテキスト類はそう呼ばれていた)を読み込んで、司法試験に合格すると、さっさと大学をあとにした。典型的にダメな人文社会学系卒業生だった。

 実務家として10年過ごした後、法実務に対し抱えた疑問を、私はある疫学者にぶつけたことがある。その疫学者は、哲学をやりなさい、と私に勧めた。「哲学」ですか? 昔の偉い人が書いたカビ臭い本を後生大事に拝んでいるあれですか? と皮肉をこめて言い返した私に、本当の哲学はそうじゃないはず、本物の哲学者、できれば、法哲学者とお話しなさい、と彼はさらに言葉をついだ。

 そうはいわれても、法学部の退屈きわまりない授業の記憶は強烈で、私の足は、どうしても法学部へは向かなかった。様々な分野で出会った研究者に、法と科学の端境の問題を、実務家の私が探求するにはどうしたらいいかと尋ね続けた。多くの研究者は、あなたの研究しようとしていることは、結局のところ「どの分野」なのかと、私に尋ねた。私の目の前にある生の問題を、既存の学問分野に切り分けろ、もしくは、落とし込め、というわけだ。誰それさんの先行研究がある○○を××という観点から深めたいなどという気の利いたことが私にいえるわけでもなく、そう問われること自体に違和感を持った。同時に、研究するなら実務を辞めるようしばしば求められたことにも抵抗があった。

京都大学

 母校京都大学の法哲学教授のもとを訪れたのは、いよいよほかに叩くドアがなくなったときのことだった。ぶっちゃけ上述のような経緯を私から聞いた亀本洋教授は

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