覚える教育から考えさせる教育への転換を大学が先頭に立って進めよ
2015年08月17日
戦後70年。戦争を体験した多くの日本人が戦争体験の苦しみと悔恨から大切なものとして重く受け止めていた民主主義や日本国憲法が、軽んじられる世の中になりつつあるようだ。「歴史から学ぼうとしない者の未来は暗い」という言葉がひときわ胸に響く夏だ。
しかし、自分が学校の歴史の時間に何を学んだのか遠い記憶を思い返してみると、情けないことに、“ムシも殺さぬ大化の改新(645年)”、“ビザンチン帝国(崩壊)はトシコさん(1453年)”、御成敗式目、弘安の役、…と年号や歴史上の人物や単語、大雑把な年表しか頭に浮かんでこない。あのやり方の歴史の授業なら、「歴史から学ぶ」とは程遠い。
私が歴史の大切さを感じたのは、国内外の多くの人々との交流や、映画、本、TV番組等を通じてだ。何より、複数の立場や観点から多面的に歴史的事象を深く考える重要性を、私は大人になってから知った。
米国のある高校では、教科書による通常の授業以外に、クラスをグループに分けて、十分な時間をかけて「違う歴史」の可能性を議論する機会があるという。例えばベルサイユ講和会議の参加国をグループごとに担当させる。各グループはその会議に至るまでの時代背景、それぞれの国の状況を数ヶ月かけて調べた上で講和会議を再現させ、講和交渉をしてみるのだ。
文部科学省で新しい学習指導要領の検討が進んでいる今、1人の社会人として学校の歴史教育に望みたいことを言わせてもらえば、
1.歴史的出来事に関して複数の学説や考えがあるのならば、主だった学説を、それらがどういう理由で支持されているのかを含めて教えてもらいたい。ひとつの学説だけを有力として与えられるのはご免被りたい。
2.覚えるばかりの歴史の時間ではなく、先の米国の例や、池上彰さんがTVで行っているような形で歴史を考える時間が欲しい。
さて、私が専門とする数学教育についても、さまざまな議論がある。学ばされる側の多くは「学ぶ意義がわからない」と言う。一方、数学の関係者は「数学の扱いが軽んじられてきたがゆえ、色々な問題が起きている」と声を上げる。そんな状況がずっと続いている。
数学関係者が指摘するのは、次のような点だ。
1.入試で
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください