「真の創造性」と「他人のまね」は区別が難しい
2015年08月24日
新しい動きというのは、当のデザイナー佐野研二郎氏について、別件(サントリービール景品のバッグ)でも盗用の疑いが浮上。佐野氏自身の謝罪を受けてサントリーが一部撤回を発表したことだ(8月13日 、朝日新聞デジタル)。
特に興味を引かれたのは、盗用された在米のデザイナーが「似ている」としながらも同時に「 デザイン業界では他人の影響を受けながら作品を作る(のが当たり前)」としたことだ。だから法的手段もとらないという。ツィッターなどでも、同業者の擁護論が目立つ。自分たちも提訴されることを心配した保身的態度ともいえるが、より本質的な問題提起とも取れる。
というのも、盗用問題と言えば普通は「盗用か、偶然の類似か」が問題となる。だが第三の可能性が示されているからだ。つまり「下敷きありのオリジナリティー」を認めるか。難しいのは、「盗用か偶然か」の二者択一ではなくて、こちらの問題だろう。
盗用疑惑はデザインの世界に限らない。最近では、韓国の有名女性作家申(シン)京淑(ギョンスク)氏に、三島由紀夫作品からの盗作疑惑が持ち上がった(今年6月)。ポピュラー音楽でも盗用疑惑はよくある。少し古いが作曲家小林亜星氏が服部克久氏作曲の「記念樹」を訴えた事件は有名だ(1998年提訴)。
学問の世界でも疑惑は後を絶たず、 小保方問題のような大事件に発展しなくても、頻繁にニュースとなる。だが事件となるのは露骨なコピペかそれに近い場合だけで、事件化しないグレーゾーンは拡大しているのではないか。
ウェブからのコピペは、今や素人でもできる。またその裏返しで、パターンマッチングによる類似品の検出も簡単だ。実際、分野を問わず、ウェブ上の検索マニアがホイッスルブロワー(=告発者)となるケースは増えている。コピペ文化と「似すぎているから有罪」と断じる「コピペ警察」が表裏で同時に氾濫(はんらん)しつつある。現代のデジタル技術がもたらした、優れて現代的な問題というしかない。
この問題が難しいのは、それが二重の意味で受け手のテイスト(主観)によるからだ。まずそもそも、盗作が問題になるのはほぼ大ヒットした(大きな収益につながった)作品に限られる。また「似過ぎている」のレッテルも、受け手の主観による。
その上やっかいなことに、このふたつの要素は密接に絡み合っている。受け手の好みの神経・心理的な形成過程に共通パターンがあるとすれば、それにアピールしようとして作る作品も似てきてしまう。
「魅力度判断」や「選好形成」の過程は、認知神経科学の
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください