「春先の金曜日午後でなかったら」を想像せよ
2015年09月01日
9月1日は防災訓練をするだけの日ではない。過去の災害を将来に生かすために見つめ直す出発点でもある。
本稿では、東日本大震災を振り返り、季節、曜日、潮、時刻の全てにおいて、被害や混乱が一番少なくて済む日時に震災が起こった事実を指摘したい。というのも、昨今の原発安全審査などをみると、この「幸運」にあぐらをかいて、大震災の教訓が十分に生かされていない不安を感ずるからだ。
もしも津波が夏に起こっていれば、海水浴や潮干狩りで海辺に人が多かったことが予想される。また、これが冬であれば、室内に多くの人が残り、雪による障害の影響もあって避難できた人数が少なかっただろう。
避難所で長い期間を過ごすことによるストレス等「統計に出にくい」被害も、寒すぎる季節や暑すぎる季節は多くなる。その意味で、春先の、これから気候が良くなる時期は、いちばんマシな時期だったはずだ。
3月だった幸運は、何度も引き合いに出される電力にもあてはまる。その総使用量は最大の1月から最小の5月に向かって急速に減少し、発電能力を規定する瞬間最大需要は夏がピークとなる。3月はその狭間だ。だからこそ、計画停電はあの程度で済んだ。しかも、夏や冬なら一旦電気が復旧した後に供給能力を超える冷房や暖房の需要が発生し、広範囲で電圧低下するなど、我々が経験したことないような二次災害が起こったかも知れない。
福島第一原発の6基のうち3基しか動いていなかったのも幸運だった。これも電力需要の閑散期だったからだ。実際、図に示すように、2008年は正月も8月も6基が、2009年は正月も8月も5基が、2010年も正月に6基が、8月も前半は5基が稼動していたし、2011年夏も5基稼動予定だった。2011年正月に限っては3基しか稼動していなかったが、これは例外といえる。
4基以上稼動していたら、手が回らずにもっとひどい暴走が起きていた可能性が高い。1個だけ生き残った6号機のディーゼル発電機で5号機も何とか冷温停止に至っているものの、これは定期点検中だったからこそ手が回ったのであって、稼動中だったらどこまで対処できたか疑わしいのだ。
福島原発事故は、狭い範囲に多くの原子炉が立地した場合、一基だけならリソース(要員・物資)の集中投入で対応できる事故でも、それが複数重なると、事故がより深刻になる可能性を示した。かのチェルノブイリ事故ですら、4号炉だけが事故を起こして1~3号炉が正常運転していたから、負の連鎖にならずにすんだ(もっとも、そのための緊急作業員の多くが放射線を過剰に浴びてしまったが)。その意味では、福島原発事故はチェルノブイリ以上の事故といえよう。
事故当時、複数同時に事故を起こす可能性は、(飛行機2機が同じ管制域で同時に事故を起こす確率と同じ発想で)非常に少ない確率の累乗として無視されていた。しかし、重大事故ほど複数基同時に起こると考えるのが自然なのだ。そして、その場合の解決策は未だに世界のどこにも存在しない。
にもかかわらず、原子力規制の審査基準では、2基以上の原子炉を同時に運転して良いものか、という簡単な課題すらなおざりにされている。福島事故の教訓は全然生かされていないと言えよう。
2011年3月11日は月齢6.4で干潮が午後2時前後である。津波の到着時刻で見ると、宮城県女川で朝6時前後の満潮から100cm低く、福島県富岡でも満潮から90cm低い。もしも地震が他の時刻や月齢に起こっていたら、津波の犠牲者は更に増えていた可能性がある。
福島第一原発では、今回1個だけ生き残ったディーゼル発電機もやられたかもしれないし、福島第二原発だって事故を起こしたかもしれない。4系統のうち
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください