昔からある「憶測で個人を集団攻撃」事件、メディアはもっと多角的で建設的な報道を
2015年09月07日
その昔、浅間丸事件ということがあったことを皆さんはご存知だろうか。1940年、房総半島沖の公海上で、客船「浅間丸」が英国海軍の臨検を受け、乗船していたドイツ人21名が逮捕連行された事件だ。英国軍艦にドイツ人を引き渡した浅間丸船長に対し、世論は激昂し激しい非難の声が巻き起こる。日本の主要新聞も船長を厳しく糾弾し、ついには船長の自宅にまで投石される事態へと発展した。結果的には、一連の措置は戦時国際法に則ったものであること、浅間丸船長に対してはサンフランシスコ出港前に、総領事から英国海軍の臨検を受けた際の措置について指示を受けており、船長はその指示に従ったことが判ると、船長への個人攻撃は止み、一転して世論は同情に転じた……という事件だ。
この浅間丸事件のように、インターネットはおろかテレビすら無かった時代から、一つの事件に対して瞬く間に世論が沸騰し、断片的な情報から断罪して激しい個人攻撃を行うといった流れは、幾度となく繰り返されてきている。
今回の東京オリンピックの大会エンブレムを巡る騒動について、既存のマスメディアはインターネット上での様々な指摘や非難をそのまま報道すると共に、インターネットにより個人の情報発信力が強まったことを言及する向きが相次いだ。
しかし、部分的な情報からの憶測に世論が反応し、集団で個人を攻撃するという社会の本質は、実はインターネットとは無関係に昔から変わっていないのだ。このことを指摘する声は少なく、組織委員会から取り下げが発表された翌日の全国主要各紙の社説でも、このことに触れた分析が無かったことは大変残念だ。
インターネットの時代、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください