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続・五輪エンブレム問題の奥と今後

行く先に待つ泥沼を抜け出すシナリオとは

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 五輪エンブレム盗作問題をとっかかりに、デザインの類似性の問題を検討している。図案の中身の類似度をいくら数値化してみても、人の主観的判断とはなかなか一致しないこと、その大きな原因は図案の「外側」の状況や文脈にあることがわかってきた。検討を続けよう。

評価者の「来歴」による

 あるとき和食になじみのない米国の友人が、「日本食は味がない」と断言して筆者を驚かせた。出汁(だし)による豊かな味わいの差がわからないのだ。つまり、同じ対象でも評価者の背景が違えば、類似度や魅力の評価は違ってくる。

 今回のエンブレムの一件でも、審査委員代表のデザイナーは、撤回に同意する際次のようにコメントしている;「専門家の間ではオリジナルなものだとわかり合えるが、一般ではわかり合えない」と(デジタル朝日、9月2日)。

 このように評価者の来歴(国籍や文化、性別、年齢、専門性)によって評価は変わる。また分野にもよるだろう。(前稿で書いたように)現代アートでは新奇性が重んじられるが、商業デザインは似たもの同士の勝負になる。ポピュラー音楽、特に演歌などでも類似の許容範囲は広い。むしろ積極的に「なんとなく聞き覚えある感じ」(コード進行の共通性?)が重要と聞いたことがある(もちろん程度問題で、演歌の盗作疑惑もあるにはあるが)。

実はすでに泥沼化している

 五輪エンブレム問題に限って言えば、今や契約関係や経済損失、タイムリミットなどの現実的制約が、関係者にのしかかっている。手続き論を経て、どこかに落としどころを見つけるのだろう。どういう手続きにせよ、とにかくひとつ新しいエンブレムデザイン(=2次元のイメージ)が、最終案として出てくる他はない。

 するとただちに、グーグルなどの画像検索を使って、コピペ警察の「襲撃」が始まる。現実を踏まえて、今回はネット世論が少しはオトナの対応をするかも知れないが、本質的な問題は消えない。

 新デザインも誰かの作品に「酷似している」という批判が、またもや沸騰したとしよう(おおいにあり得る)。さて今回の「類似度」は、先の佐野氏作品とベルギーの劇場のロゴマークの「類似度」に較べて、「はるかに似ていない」と言い切りたいところだろうが、

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