いわゆる「良妻賢母」を美談として取り上げる「精神構造の幼稚さ」からの脱却を
2015年10月15日
今年も日本人が、ノーベル医学生理学賞と物理学賞にそれぞれ1人ずつ選ばれた。大変喜ばしいことであるし、一度に2人も、しかも日本発の研究成果が受賞したことは、日本人として誇るべきことだ。一方、受賞後の雰囲気や報道は、残念ながら「相変わらずだな」としか言いようがない。2000年以降、米国に続く世界で2番となる数のノーベル賞受賞者が自然科学の分野で輩出しているという事実は紛れもなく日本の科学の発展を象徴している。しかし、それに反して、そこに住む人々の精神構造は相変わらず幼稚だと筆者は感ずる。
その例のいくつかを以下に示す:
ストックホルムのノーベル賞発表の記者会見は、温かみや親密さを感じる木材を基調とした、割とこぢんまりとした部屋で行われる。記者たちも自然な形で集まっている。床に座っている記者もいる。日本も、ノーベル賞の記者会見は、「謝罪の記者会見ではない」のだから、もっと人間の温かみを感じる、そして、皆で心から祝福できる雰囲気をかもしだすような場を演出して頂きたい。
ノーベル賞受賞者の体験談を借りて、「こうやったら(あるいは、こうやったから)ノーベル賞が取れる」といったようなお粗末で貧困な話題を取り上げるは止めたらどうだろうか。メディアがこういう類の記事を発信するということは、国民の多くがそういう記事を欲しているということなので、このジレンマを解決するのは非常に困難であることは十分承知してはいる。しかし、もうそろそろおしまいにならないだろうか。
このような話題は、「こうやったらキミも東大に合格できる!」といったレベルとさほど変わらない。そもそも、ノーベル賞をとってもおかしくない研究成果は、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください